こんにちは、朔日です。

今日はそれほど体調が悪いわけではないので、つらつらと書いていこうと思います。

自律神経が乱れてて寝不足なのが良くない。

 

さて、先日挨拶として初投稿してから最初の記事としては、ちょっといきなりすぎるかと思いますが『自傷・自殺について』の私の思いを綴ります。

これはたぶん、賛否両論はっきり分かれる話題ですよね。

でも大きく括って『ストレス』というものに満ち満ちた現代で、私たちが目を背けずにきちんと考えていかなければならない問題でもあります。

特に自殺は、ネットの普及で様々な方法の、知識と、場合によっては道具も得られるようになりましたから、より身近なものになってしまっているのでは。

とはいえ私もたかだか二十余年生きた程度ですから、現代を語れるほどの経験はありませんが。

 

今回は自傷についてです。

これは私にも経験があります。が、自傷は人によって意味合いが変わってくると思います。

自殺は未遂以外は結末がひとつですから、また別のお話。

自傷と聞くと、やっぱり良くないことだし異常なことですよね。

人との繋がり方が増えただけに、見て欲しくてやってしまう、いわゆる「構ってちゃん」なんでしょ、という『面倒な人』と捉えられることがほとんどだと思います。

もちろんそういう目的の人もいるだろうことは私も感じます。が、決め付けてほしくない。

本人も本当はやりたくないけれど、どうしようもなくてやってしまった、というケースがあるんです。

で、今回ここに記しておきたいのが、その【自罰としての自傷】。

私が中学2年生だったかな、二度目の不登校を経験したときに始まったものだと思うんです……当時のことはとにかく生きることに精一杯で記憶が一部不確かですが。

不登校の原因は詳しく書く必要もないので割愛しますが、要するに思春期ならではのものですよね。

でも、真っ只中の子供がそうやって片付けられることではなく、自分がもっと気をつけていれば、とすべて自分の責任と感じていました。

不登校というのは本人だけが辛いわけじゃないですよね。

親からしてみれば、学校で何かあったはずなのに話してもくれないし、学校というものは行かなければならないものだという価値観もある。進学や就職のこともあるでしょう。

けれど子供のことを思うと容易に口にはできない板ばさみな苦しみ。

それに加えて、悩んで苦しんでいる我が子を傍で見続けることも辛いはずです。

それもわかっていたから、大切な親を傷つけている失敗作だと余計に自分を蔑むようになり、どうしても許せなくて【処罰】【制裁】……そういう意味合いで自分の体を痛めつけるようになりました。

リストカットはできなかった。後のことを考えると、流血沙汰なんて隠し切れないし、それこそ後悔がすごい事になるのは想像できたし、親の気持ちも傷つけるし怒られるのも怖い。

死ぬのは嫌でしたし。遺された人たちがどんな気持ちになるかを想像すると、とても選択はできない。その点はいくらか正常だったんですかね。

だけどどうしても痛めつけてやりたくて、殺傷力の低そうなヘアクリップで左腕を何度も殴りつけた。

痣ならいずれ消えるから、やるならこれしかない。

ものすごく痛くて、涙も出るし、体だけでなくて心にも傷がついて、悲しくて仕方がないけれど【処罰】を受けたのだからと許された気持ちがしてとても楽になりました。

でも一度手を出してしまうと、癖になってしまう。

許せないことがあると部屋に行って同じ事をして、痛くて泣いて傷ついて、でもこれで許される。そのうちにもっと酷い【処罰】でないと許せなくなって、ヘアクリップがハサミに変わりました。

ハサミはその一回だけでしたが、その一回のとき、何撃目かで刃が開きかけていることに気づかず、気が済んだときに流血していることにようやく気がついた。

さすがにとんでもない後悔が押し寄せて、後に傷痕も残ってしまったし、刃物はやめようと心に決めました。

でも、実際これが私の【自罰としての自傷】のプロセスでした。

先述したように、死にたくはないんです。ただ、自分自身を殺してやりたいとは思っていた。

とにかく、自分を許すための【処罰】、きっかけが欲しかったんですね。

 

普通に考えれば、「もっと他に方法があるだろう!」と怒りますよね。それもわかるんです。

実際私の周りにいる人は、幸い普通の感覚の人ばかりですので、軒並み怒りました。

でも、私にとっては方法がそれしかなかったんです。

それはなぜか。

「お友達や他人に当たってはいけない」ですよね。

「自殺は最も間違った行為で悪いこと」ですよね。

かといって、物に当たるのはとても辛い。物に罪はないんだから。

そう、罪を負っているのは自分だけだから。

他者を傷つけてはいけなくて、死ぬことも許されなくて、物に当たるのは胸が痛むし片付けるときにとても惨めで、しかも罪が余計に増える。

ここできっと人が思うことは、「話してくれればいくらでも聞くのに」ですよね。

とても優しいことだけれど、とても難しいことでもある。

大抵「聞く」だけではないですよね。アドバイスをしてあげますよね。

でもその優しいアドバイスは、ときにその人をさらに追いやることになる。

完璧な理解などこの世には存在しませんが、理解なしでのアドバイスはただの裏切りです。

そんな思いを何度も経験したくないと、私も人間ですから逃げました。誰にも話さなくなった。

それでも、残された逃げ道である「自傷」は「悪」なんです。許されないこと。

本当は、自分自身が自分を認めて許してあげることが最善だと、一番理解しているのは実は本人なのではないでしょうか。

だけどそれができない。根底には自己評価の低さが問題としてあるんでしょうけれど、これは私が今課題として直面している史上最強の敵ですので、まだ語れません。

 

ここまで書きましたが、自傷を許せと言っているのではないんです。

ただ、本人が面白半分でやっているのではなくて、苦肉の策で導き出した答えがこれだったということを理解して欲しいんです。

理解するのにはかなりの時間が必要かと思いますが、理解できなくても、こういうケースもあるのだと知っておいて欲しい。

そして、簡単に叱って欲しくない。

 

ただ、自傷を考えている段階の人に伝えたいのが、自傷「癖」になってしまう危険性です。

半年ほど前、10年飲んでいた抗不安薬から離脱することができて、それで尚、先日思い知ったのが、この自傷癖は消えないこと。

どんなに明るく過ごせるようになっても、配偶者ができて大切な人が増えても、やめられない。

【許すためのきっかけ】を自傷に託してしまったから、これでないと許せないし気が済まなくなってしまっている。

でも大切な人が増えれば増えるほど、この「処罰」さえも使えなくなってしまうんですよね。

なぜならばその大切な人を傷つけたくないから。

いよいよ逃げ道が潰えたと、気づいたときの絶望感はそれはもう深かった。

だから今、許せないことに直面したときの生き地獄は本当に辛いです。

自傷を始めた頃考えていた「後先」は、結局その場しのぎに過ぎなかったことに愕然としています。

許せないことがあったときは、ただただ自罰行為を耐えなければいけない苦痛が過ぎ行くのを待つ地獄です。

 

でもね、最近気がついたことがあって。

「自罰行為を我慢する」ことを自罰行為と捉えればどうかなって。

変態的な思考になってきましたけど、今のところこれが最善の策です。

 

まだ自分自身で答えが出ていないのにこんな記事を書いて申し訳ありません。

現段階で、「自罰は遊びでやっているわけじゃないこともある」と知って欲しかっただけです。

あとは癖になることこそが危険だってことも知って欲しいですね。

これを書いている今、胃が痛くて仕方なくなってきました。捻って絞られてるみたいな痛みと、冷たくてざらざらしたものが胃の中に揺らめいている……。

胃薬は心療内科の主治医が処方してくれてるんですけど、自分で思考改善しないと治りませんよね。うーん。頭ではわかってるんですけどね。

取り留めがなくなってきたのでこのくらいにしましょう。

次回はいつになるかわかりませんが、自殺について似たような違うことを書いていこうかと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

お疲れでしょうから、ご自愛くださいませ。