思いに含んでいるパズルをさがす

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人生の追憶を記録し、いままでさまざまな生活と、特に日本殖民時代の教育という過程をまとめる。

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当時の教育を受けて感じた目的性:品性(しきたりがいい)、学業(学校へ行くことが上品)、ごろつきと汚さが大嫌い。


お爺ちゃんとお婆ちゃんの本音:

日本の教育が羨ましい。当時、四年だけで学校へ行くけど、日本語を話すことがぺらぺらしていた。いまの子供たちは品格がよくないのは倫理についての授業を取ってない。日本のことを褒めているところに、新生代に生まれた日本人が変わったことに対して残念だと思っている。第二次世界大戦の後にアメリカ人は日本人と結婚し、純粋な日本人が少なくなり、その時代の人と比べるとそんな優秀ではないと思う。また、台湾人が「台湾語」を話すのは生活と自分の根を基づき、言語を使わないとどんどん忘れてしまう。いまお爺ちゃんは中国語をあまり話せないから、ぺらぺらしていない。もし最初から選べば、日本語を選ぶ。日本語は世界中に一番きれいな言語と思っている!







                          












アメーバクラスメートの人数:お婆ちゃんのクラスは6070人がいるし、お爺ちゃんのは4050人がいる。



アメーバ家長と一般な人民は学校を入ることができない。



アメーバ学校へ行くこと:最初は田舎に待ち合わせてから(例、ある村のお寺で)、それぞれの副リーダーが列の移動で集まってくる。そして、学校の校門前にリーダー(お婆ちゃんが担当したことがある)は全部の列を学校に連れて行く。学校のやり方がそれぞれ違う可能性もある。「級長」はいつもその厳しさを持っている。



アメーバ維持されるのは遅刻することがない。さらに、当時の学生が遅刻することに一度やってみることもない。(病気で休みを取ることは家長は副リーダーにうちの子は学校へ行かないと知らさせる。)



アメーバ旗をあげる典礼(朝八時):現在の流れとほぼ同じだけど、歌っている国歌は「君が代」である。(お爺ちゃんはいままでも歌える。)旗をあげる後に「ラジオ体操」をやる。



アメーバ授業の日:月曜日から土曜日のお昼まで(いまの水曜日の半日授業とのような場合はない)



アメーバ夏休みしかないけど、冬休みがない(日本とように3月に学校を始め、学年制度は日本と同じである。)



アメーバ授業の節数:午前は四節があり、午後は二節がある。(中間休みは20分で)(娯楽はサンドバッグを投げたり、羽根蹴をしったり、縄跳びをする。)



アメーバ体育授業は水曜日と土曜日に一節がある。一年に一回の運動会を行う。



アメーバ高年生の先輩たちを会う時に敬礼をしなければならない。しないと殴られる。(制服に名字と学年もついているから)、政府に関する人に出会った時にも敬礼をする。(交番の警察、あるいは村長とか…)



アメーバお昼休みがあり、日直生を順番でする。あと掃除(朝と帰る前にする。ちゃんとしないと、叱られる。)現在のとはほぼ同じである。



アメーバ恋愛禁止、男女の関係を付き纏うことがない。(一つクラスの中に男女の割合は半分である。列を立つ時に二つの男の子と二つの女の子として歩いている。)



お婆ちゃんの経験を聞く:教室の中に一つのオルガンを置いている。

この短い四年の日本式の教育:


アメーバ小学校一年生から四年生の前半期まで

八歳の時に入学した(1941~)


アメーバ四年生の後半期~五年生の後半期:第二次世界大戦を始め、アメリカの軍機で空襲された。(授業を中止され、命を守るために逃げしていた)



アメーバ六年生の後半期:光復(1945~)

光復の後から1ヶ月をかけ、「子丑寅卯」を勉強した。そして、中国語の注音を勉強した。



お爺ちゃんの経験を聞く:兵役を入る時に、一聯の軍隊に120人くらいの中に二人が中学校までしかを勉強しなかった。その年代に生まれた人はその学歴が持っているのは少ない。



授業の方:

アメーバ科目は現在の教育とほぼ同じである(音楽や美術や体育も入れている)。教材(日本に関する教材だけではない)と試験の方法も大体同じだけど、日本語のバージョンを変更した。特別なのは「修身」という科目である。(『生活與倫理』、『公民道德』のような科目である)当時の重要な授業とも言える。現在の教育はそんな重視していない。



アメーバ大体二年生になる時に日本語しかを話せない:(授業を終わったけど、クラメスメートと日本語で話す。台湾語を話す機会が少ない。)



アメーバ先生はとても厳しいけど、学生のことを関心してあげる。責任感を持っている。(生まれた背景で先生は学生の教育態度に対し影響され。)



アメーバ師資:日本人と台湾人もいるけど、男女の比例は101という場合である。学歴のほうは小学校から台湾師範までもいる。(当時から言うと師範という学歴を取ることが難しいので、ほとんど高校という学歴を持っている。)



お婆ちゃんの経験を聞く:小学校までを勉強したけど、ある先生がお婆ちゃんに小学校の先生になろうと言われた。



アメーバ罰の方法:柔道、土下座、横倒れること、グラウンドを走ること、びんたすること、椅子を落とすことなどである。(カエル式のジャンプがない)



アメーバ褒めること:表彰状、ボールペンなどをもらう。奨学金はない。



アメーバ宿題:学校を終わった毎日がある



アメーバ家庭訪問:家長は日本語を話せないので先生が高年生の学生に連れて行って通訳をする。(たまにある)



お婆ちゃんの経験を聞く:プライベートで先生の家にご飯を食べたことがある。


追憶Tsuioku

ベル2012/2/16 台南インタビュー


追憶Tsuioku



名前

王蔡慎 七十九歳



ニックネーム

富士子 ふじこ



誕生日

民国二十二年四月十一日



故郷

台南後營



学歴

後營小学校



家庭背景

栽培する家庭

(養女にする,一番目として、下から妹三人と弟二人がいる

元の家庭

七番目として上から姉が六人、下から弟二人と妹一人がいる

小さいから養い親と暮らしていたから、更に親しい。つまり、それから栽培する家庭を中心にする。養女にするけれど、溺愛させられた。父親が婿入りをする考えがあった。

大きいな農家として毎日新鮮な牛乳が飲める。

父親が二人の兄弟と四人の姉妹がいる。

お爺さん名前:蔡有)の父名前:蔡興)は清朝の官員なので、よくご主人(中国語:少爺)と呼びられた富豪のような家庭と言える。お爺さんの姉妹たちの隣に手伝ってくれる女がいる。結婚して夫のもとに行きつつ嫁入り物としてのある女も行くようにお姫様みたい。

お爺さんの妹のおかけで王精忠と知り合いのきっかけがあった。



性格

頭がいい 、気前のよい寛大な演算の能力が強い

「黑貓(台湾語):きれい特別な女性」「隊長(たいちょう)と呼ばれた



子供時期の印象に残る話

日本語の曲に合わせて原住民の舞踊を演ずるという記憶

子供時期は悩みがなく生活だ


対象:台南に住んでいる元気な年寄り

あの時代では、お爺さんとお婆さんは他人より家庭背景が富んだ家と言える



20111119 台南 インタビュー 記録一


追憶Tsuioku-55



名前

王精忠 七十九歳



ニックネーム

なし おうせいちゅう

(中国語から直接に音訳した)



誕生日

民国二十二年五月二十六日



故郷

台南安定郷



学歴

安定小学校

善化中学校

雲林高級工業学校



家庭背景

安定郷

安定郷に「王五房」という大きいな家族がある「王五房」の後代に属す

小さいな農家に出身し、兄弟姉妹がすべて四人。兄一人妹三人

父親は上から四番目として、兄が三人、弟が三人、妹一人がいる

台湾語で草地人と言われた家庭つまり、完全に田舎に成長していた

両親は教育のほうが重視しなく



性格

頭いい、いたずら好きな子供、グループの中に王のような人、不平なこと見れば助けてやりたい、正義感が強い、他人と約束したら絶対やらなきゃいけない態度、勉強が大好き(自分の家と学校の距離が六キロがあるけれとも、歩いていくということから見れば勉強に対してたいへんな意志力がある)



子供時期の印象に残る話

あの時代で、暮らすことが難しかった。その故に、自分の家が土地があり、もう他人と比べってよかったと思われる。どんなことがあっても勉強できるように現在の学生が幸せだ。