バスを降りた先にある建物に入り、階段を上ると、細長いテーブルに青い作業着やベルト、安全靴、ヘルメットがサイズ別に置かれていた。
遠くは京都から来ているというから驚きだ。
各自、サイズを確かめて、更衣室で着替え。
着替え終え、20名で使うには広すぎる会場へ。
名札が置かれた席につき、まずは住所の確認。
これは10年後に送られてくるウイスキーを届けるためのライフラインだ。
引っ越したら知らせないと10年後、このウイスキーと出会うことはない。
おそらく、役所の手続きよりも迅速に行うことは間違いないが、今回は特に必要ない。
誤字脱字のチェックをして、係りの人に渡す。
そうこうしてるうちに、今日のスケジュールを確認する。
まずは工場見学。
その後、自分でウイスキーのブレンドを行う。
塾長他の挨拶を終え、塾生の挨拶。
夫婦にカップル、親子に、友達、1人参加。
遠くは京都から来ているというから驚きだ。
そそくさと挨拶が終わると、もうお昼。
近くのレストランへ移動する。
ここでは特に席は決められておらず、適当に座っていく。
ここでは特に席は決められておらず、適当に座っていく。
席にはすでにサラダやパンが置かれていた。
全員の着席を確認すると、メインの食事が運ばれてきた。
なんとも良い匂いのするチキンのハーブ焼き。これをナイフとフォークで食べていく。
これが難しい。
ぷりっぷりのモモ肉は筋に沿って切らねばなかなか切れず、かといって、見ず知らずの人間に囲まれた中で、先陣を切って手を使うわけにも行かない。
味がわからなくなるほど集中してチキンを片付ける。
食後のコーヒーを飲むと程よい時間になり、いよいよ講義が始まる。
蒸留所へ戻ると来た道とは違う道を通り、川沿いの建物も何もないところで降ろされた。
この川から講義は始まる。
竹鶴政孝はまず余市に蒸留所を作った。
そして、複数の蒸留所を持つことを夢としていた。
余市の荒々しさと対照となるようなウイスキーを求め、ここ宮城峡に目をつけた。
聞けばその川の名は「ニッカワ」と呼ぶらしい。
山々に囲まれた栄養を豊富に含んだ水で作るウイスキー。
それを熟成させるに適した湿度環境。
そういった理由でここに蒸留所が作られた。
そんな話を総務?の方が話されていて感銘を受けつつも、寒さのあまりはやく切り上げたかったのはみな同じ気持ちだっただろう。
川から離れ、お土産売り場でトイレ休憩。
そそくさと用を済ませ、お土産売り場を徘徊。
何か違う。
何だろう?と思いながらフラフラしてると集合の合図。
そこで、案内の人が、
「マッサンのおかけで売るウイスキーがなくなってきてるんですよね~。宮城峡シングルカスクの15年なんてあそこにあるので終わりみたいですよ」
なるほど!
お土産のボリュームが前回よりも少ないんだ!と合点がいく。
これは、明日のお土産は戦争になるななどと勝手に臨戦態勢にはいる。
さて、次はこのお土産売り場に併設された政孝とリタの手紙やらパスポートやらゆかりの品々の紹介。
一つ一つを説明していけばきりがない。とスコットランドで結婚したリタの外国人滞在許可証なるものだ。
当たり前の話だが結婚すれば国籍が変わる。
母国にいながら外国人として認知された証拠の品というわけだ。
当日であれば国際結婚は珍しいはずでさらに、母国で日本人に嫁ぐとなるともしかしたら初めてのことだったかもしれない。
リタは常に寂しさと戦っていたイメージがあるが、それは結婚した時から、スコットランドにいようが関係なく襲ってきたものなのだと痛感した。
ささっと、展示品をみ終え、外に出る。
案内所の前に着くと、宮城峡の看板の前で突然の記念撮影。
そこで撮ったは計3枚。
1枚目は程よく緊張し、
2枚目は位置を調整し、
3枚目は
「それでは、みなさん笑顔デー!
ニーカッ♩ニッカッニッカッ♫ニッカ♬ニッカ‼︎ 」
と突然歌い出すではないか。
これには真面目顔を作っていた私も驚きを通り超してあまり破顔してしまった。
そこから歩いて、一般見学コースへ。
そこでは通常入れない場所まで入ることができ、実に詳しい説明を受けた。
実際にもろみを舐め、麦汁を飲み、ニュースピリッツを口にする。
こんなにも面倒な手順を踏みんでもまだウイスキーは出来上がらない。
なんとも意地悪なスピリットだ。
一通り見終え、事務所へ。
少し休憩すると、本日の山場、ウイスキーのブレンド講座が始まるが、それはまた次回で。