会社の人が無断欠勤を数日重ね、自殺した。

気持ちの整理と少しでも同じような事が起こらぬようここに。

結論から言ってしまえば、その人は鬱病だった。
でも、その事は親御さん以外知らなかった。
だから、不安定な情緒も性格だと割り切ってしまった。
強気の面もあり、裏表が激しく、笑いはするが、何処かに虚しさがあった。

でも、それはあくまで、今にして思えばだ。
当時はその虚しさに気付いていても気付いていない、何とかなるだろうと深く考えることはしなかった。


歳は40。
バツイチ。
これから1人で生きて行こうと決めて、うちの会社に入ってきた。
1人で生きて行く孤独感を思えば、途轍もないことは想像に難くないが、そこに自立意識があれば乗り越えられるものだと思っていた。

想像でしかないが、結果はきっと違ったのだろう。
一人寂しく、伴侶もなく、ただ年老い、初めてばかりの仕事に慌てふためき、自己嫌悪に陥っていたのではないかと思う。

勿論、その人の事はわからないから、そういったことをすっ飛ばして、魔が差して行為に及んでしまったのかもしれない。

変な業界で、無断欠勤をしても連絡をしないような会社だ。
ただ、その前から遅刻も多く、それでも反省する様子もなく、淡々と仕事をし、うちを辞めるという話もしていたらしく、社長も見限り、本人の自由にさせていたのだ。
今更だが、上の理由も鬱の症状のように思えてならない。

今日、タイムカードを打つ時に彼女のタイムカードが目に入った。
名前を赤いペンで書いていた。
それは、今月の初めにも気がついてはいたが、まぁ、黒いペンがなかったのだろうと。

知らない人にはピンと来ないかもしれないが、私は小さい頃から赤いペンで自分の名前を書くと早死にすると言われてきた。

もしかしたら、正解のない推論だけれど、彼女なりのサインだったのかもしれない。
そう思うのは今月初めにそれを見かけた時に、「後で、冗談目かして教えてあげよう」と思い、結局言わないままだったのかもしれない。

その人の事はその人にしかわからない。誰にも責任はない。

そう納めてしまうのが一番いいのかもしれない。
答えのない迷路に迷い込むこともない。しかも、その迷路はどこを見ても後悔しかないのだから、入ってもいいことなど一つもない。

違うな。いい人ぶりたいだけなのかも。私はこんなに人の事をかんがえてるんですよと。
まぁ、その辺の事を考えても卑屈にしかならないのでここまで。

話を戻す。

鬱病は知らなければ、他人には気づけないのだろうか?
そうかもなと察することはできても、余程仲が良くなければ、病院を勧めるには失礼とすら思われそうでなかなか出来ることではないし、それ程目端の利く方ではない自分の考えに自信があるわけでもない。

とどのつまり、
鬱病が現代病となったのは、希薄な人間関係にあるのではないだろうか。
勿論親密な人間が不意に…ということもあるかもしれない。
そういった心の隙間はどの様に発見し、解決して行くべきなのだろうか?

今にして思えば、彼女は入社当時は失礼なほど笑っていた。それはもしかしたら薬の効果だったのかもしれない。
ただ、笑うべきでない時でも思わず笑ってしまい、注意され、そこから薬をやめて、今に至ってしまったのかもしれない。

こんな想像が頭から溢れるほど湧き出てくる。

今日も仕事をしてると、いや、底ではずっと考えていたが、ふと考えてしまって、もっとどうにか出来なかったかを考えてしまい、仕事が遅く注意した事も彼女にすればナイフで切られたような感覚だったのかもしれないと思うと何も手につかなかった。

それでも、仕事は進んでいく。
仕方ないことだ。

朝の社長の言葉だ。
社長ももっと言いたいことはあっただろうが、会社としては進んでいかなければならない。

頭では分かっても、そこで留まる事すら許容しないようにするのが今の社会なのかもしれない。
当然だろう。停止は衰退でしかない。


何をしてても彼女に置き換えてしまう。
この寒さも、月の明かりも満員電車の煩わしさも、もう感じることが出来ないんだと。
そりゃ、いい歳だから、人生って良いも悪いも含めて人生とは分かっていただろうが、もう、どうでも良くなってしまったのだろう。
いや、本当にどうかはわからないけど。

こないだまで声もあって、匂いもあったのが空白になってしまった。

こういう空白はずっと埋まらないのではないかと思う。
あとはただ、その空白に慣れるだけしかない。

思い返せば今年は二つの死にぶつかった。
一つは元彼女の父親、一つは今回の。

元彼女とやり直せない私の中での決定的な理由はきっとこの父親の死の際に全く力になれなかったことだろう。
気持ちがあろうが、後でどうとでも優しくはできる。でも、それは1番辛い時ではなかった。1番辛い時に力になれない男など隣に立つ必要なんかない。そう思っている。
死後もその子はとても心労に蝕まれていたが最近ではようやく元に戻ってきたらしい。

けれど、今回の事を踏まえるとそうとも言い切れないのかもしれない。
そして、私はただの何もできない心配症のうざいおっさんになっていく。

死そのものには抗う手段はない。
あるとすれば一瞬一瞬を生きていると実感すること位ではないだろうか。

そうでない堕落な自分はまぁまぁ生きている。
なんなんだろうな。人生って。

無意味な仮定だが、私が彼女ならいくらでも楽しく生きられた。
そう思うほど、彼女は容姿が優れていた。
そして、頭も良い。

でも、人生はそれだけじゃない。

何も産まない想像はまだ尽きない。

一先ず、鬱について調べて見ることにしよう。

怒らない。
乱暴な言葉は使わない。
イライラしない。

今更だが、そうしよう。