走って参りました。
東京マラソン。
練習中はいつも一人、それが急に3万5千倍の人数と一緒に
走る事になるのですからその迫力は計り知れなかったです。
寝坊癖のある自分としては、
最初の難関、『早起き』に立ち向かわなければなりません。
最初は6時ごろ起きればいいかなと思っていたのですが、
混雑するだろうし、
早め早めの行動をと思い、目覚まし時計は5:30から5分おきに
6時まで、そしてぎりぎり寝坊しても間に合うであろう6:30に
駄目押しでセットしておきました。
結果は5:50に起床。
そこから朝ごはんは餅を二つ。
アミノバイタルを一つ。
カフェインはトイレが近くなるからと思いましたが
せっかくの早起き、珈琲を一杯。
気付けばそろそろ出る時刻。
昨晩予習しておいたテーピングを
足の指と膝に巻き、
友人からのプレゼントのCWXの京都モデルを履き、
さながら戦に向かう侍の心持で着替えを済まします。
と言ってもそこはお祭り。
どのくらい楽しめるか
自分は走りきれるか
どのくらいのタイムが出るか
東京の主要道路を走れると言うのはどんな気分なんだろう
などなど、
早く走ってみたいなと言う気分でいっぱいでした。
都庁前に付くと既に長蛇の列。
あの辺は超高層ビルに囲まれているので、
日が差さない。
スタートまでは一時間くらいある。
けれど、手荷物の預かりはさっさと済ませたい。
断腸の思いで
上着を脱いで、ランニング用の格好になりました。
そこで慣れているランナーならばビニール合羽みたいなものを
着ているのですが、その事をすっかり忘れていたのと、
人が密集していればそこそこあったかいんじゃないかという
希望的観測で防寒対策は無し。
ストレッチなどをして体を温めようと思うも、
一通り終えてもまだ時間にはならない。
トイレに行ったり足踏みしたり、
周りの人を見ていたりしていたら、
ようやくスタート。
でも、スタートの号砲は聞こえども
この離れたブロックからではあまり実感はない。
少しずつ歩き始め、道幅が広くなり、
前の人のスピードが上がり始める。
見上げればスタートラインと紙吹雪の残骸。
直前まで友人とメールしていた自分はあわてて、
携帯をしまいます。
気分は高揚し、沿道の声援は誰に向けられたものなのか
少し困惑しながらも、
体調は悪くなさそうだ、前の人邪魔だな、
俺いつもよりはやいのかな?
なんて事を考えていると
いつの間にか
2kmのサイン。
お~、もう二キロかこりゃ調子良いぞと
日のあたる場所では思い、
早くおわんねーかなあと30km以上あんのかよ、無理っぽくね?
など日光の具合によって
ポジティブになったりネガティブになったり
仮装している人を見つけては驚き、
通った事のある道をいつもとは違った視点から見てその風景の違いに
感動したり、
撮影ポイントでは前の人にならって両手を挙げようと思っても
なんだかこっぱずかしくて中途半端に手を挙げてみたり、
いやいや、その方がよっぽど恥ずかしいんじゃないの?
と自問自答してみたりで
いつのまにかの15km。
元来同じ道を通る事があまり好きじゃないので
折り返し地点というのはそれだけでつまらない場所という感じが
してしまいます。
でも、コースだから仕方ない。
嫌々ながらも走ります。
沿道では要所要所で
チアガールがいたり、お子様が躍っていたり、
太鼓をたたいていたり、
この祭りをいろんな人たちが盛り上げているんだなと
そしてその中で、主役とまでは行かないし、
ただ走っているだけの存在だけれど、
サポートしてくれる人はBMWの自転車でどこにでもいるし、
給水、給食所の人たちはしっかり声をかけて、とても楽しそうに
応援してくれている。
それだけで、チカラになる。
そんな風に思っていたものの実際は
足が痛くなり、小指が痛くなり、
なんか足が上がらなくなり、
掲示される距離数がいつまでたっても更新されない。
やっと、折り返しの呪縛から解き放たれたと思ったら、
今度は浅草まで行ってまた折り返し。
でも、今度は風景ががらりと変わり、
華やかな銀座を通って、浅草まで。
浅草には数えるほどしか行った事がなくて、
距離感とか土地勘は全くなく、
銀座から浅草まで走るなんて、
感覚的には奥多摩から吉祥寺くらいのニュアンスが自分にはあります。
その未知さには内心ビビっていましたが、
折り返してくる人を見ると
まぁ当然なんですが、
『戻ってこれる距離なんだ』と安心しました。
が、安心したからといって距離が縮まるわけでもなく、
そこからは痛みとの闘いだったような気がします。
あんまり覚えていないんですよね。
痛かったし、走る事もきつかった。
歩いても進めるけれど、走るともっと早い。
歩けば少し痛みは治まるけれども、
走るともっと痛くなる。
じゃぁ、痛くなるから走らないのであって、
体力はあるの?
そんな自問自答を繰り返し、
走ってみては歩いてみて、
やっぱきついわと歩いてみる。
でも、痛みに負けるってことか?
と奮起して走ってみると、
ちょうどいいストレッチ場所みたいなのが陽だまりにあって、
『あ、あそこ良いなぁ』
『ストレッチしたいなぁ』
とふらふらと走る人波をかき分け
その場所にたどり着き、
軽くストレッチをする。
けれど、その間に
さっきぬかしたはずの仮装している人に抜かし返されると
なんだか自分が凄く遅い気持ちになって、
ストレッチもそこそこに走り始める。
痛いなぁ
痛いなぁ
と思いながら、
給水まだかな
トマトまだかな
と腹をすかせながら
足を進める。
結局、
マラソン選手に対して感動する姿と言うのは
120%出し切っている姿にという事なんでしょう。
自分の様に練習少しで、雑念一杯の人間では
やはりそこまで自分を追いつめられない。
痛さに負け、歩くことを選んでしまうのは
一つの弱さであり、
単純に練習不足でもあるのでしょう。
雷門周辺では人が多くなり、
前の会社の人が応援に来ている情報があったので、
ちらちらと見ながら走るも見つからない。
遠慮というのも変だけど、
沿道で声援を投げつけてくれる人たちには
笑顔で手を掲げてハイタッチ待ちしている人が多くいます。
もちろん、それに応えるのも楽しいとは思いますが、
汗をぬぐい、鼻水をぬぐった手袋をしたままでは
どうしても遠慮してしまいます。
なので沿道からは付かず離れずといった具合に探していましたが、
見つからない。
そんなに早いわけでもないのに見つからない。
日比谷でも家族で連れだって来てくれた友人には会えず、
ましてや折り返し地点でも会えなかった。
ここでも会えないのか。
雷門を過ぎたあたりでもう会える事はあきらめていました。
が、突然名前を呼ばれ、振り返ると。
『いた!!!!!』
その瞬間痛みが吹っ飛び、何ともいえず嬉しい気持ちになりました。
応援と言うのは不思議なものだなと思いました。
彼らが持っていたワインを一口もらい、
また、走り始めます。
痛みはあるし、寒いし、給水所までどのくらいあるか分からないけれど、
走っている事自体は楽しいんです。
距離が近づくとか、
スピードが上がるとか、
そういう数字的なものでなくて、
走っているってそれだけで幸せだなと思うんです。
走るために必要なものはそろってて、
そいつらがきっと自分が感覚として味わってる以上に
頑張ってくれている。
それを制御するのが痛みなんでしょうが、
そんなもの無視してもいいよと言って足を前に出してくれる。
変な話、自分がもしひざだったり、
足首だったら、
『もう無理』
と言って、脳の命令を無視して攣ったりなんかして
走る事を止めさせていたんじゃないかと思うほどです。
次の5kmはずっと走るぞ!と思っても、
ようやく見えた掲示板ではまだ1kmしか進んでいない。
『ひゃー、無理』
と潔く歩き、
でもな~と思いなおし走り始め、
そんなこんなで
銀座に戻り、あと7km
ここからの7kmは体感的には20kmくらいあって、
進めど進めど進まない。
そんな中沿道では励ましのメッセージもより具体的な内容が多くなってきます。
はじめの頃は
『完走目指して頑張れ!!』
とかだったのが、
『痛いのは気のせい』
とか
『ゴールまであと5km』
とか
まさに我が意得たりといった感じで、
『そうだよな。痛いのは気のせいかもしれないんだよな。
だって、忘れようとすれば一瞬は忘れられるわけだろ?
それを連続してやれれば痛みなんて気のせいでしかないよな。
でも、痛いな。いや、気のせいでも、痛い、気のせい』
しまいには
『きのせいきのせいきのせいきのせい・・・・・・』
と呪文のように唱えていました。
汐留の文字が見えたころ、携帯を見ると友人からメールが入っている。
普通の真面目なマラソンならこんな風には出来ないだろうけど、
東京マラソンは何を競うわけでもなく、
楽しみながら走れる。
だから、写真も撮れるし、こんな風に携帯を見る事だって出来る。
後もう少し。
そんな内容だったけれど、
なんだかんだいってみんな結構見てくれていて、
ゴールした際にはみんなからメールが来た。
結構やりとりをしていた友人は現在位置の更新をしまくってる
みたいな事を書いていたので、
その姿を思い描くと自然に笑いがこぼれてしまっていた。
その時程、マラソンが前に向かって進む競技で良かったと思う。
これが自分の顔が見える競技だったらみな急に笑った自分の事を
変な人だと思うに違いない。
海が近くなり、風も強くなる。
坂だから、
風が強いから
日陰だから、
歩いてる人が多いから
といちいち言い訳を見つけては歩き、
あと少しなんだからと奮起して、
走る。
ビックサイトのあの建物が見えれば元気になるかもしれない
そう思っても全然見えてこない。
そうこう思っているうちに残り1km。
え?建物なくね?
まぁ、最後だし、走りきるか。
と駄目押しで走り始める。
長い長い直線。
そして、最後のコーナー。
残り『195m』の文字
ここで最後の最後の踏ん張りで、ダッシュ。
はたから見ればトロトロだろうけど、
自分としてはもうダッシュ。
多分、50人は抜いた。
そこに意味なんてないんだけど、
ぶっ倒れる事は出来なくても、
その寸前まで持って行ってみたかった。
倒れたら、立ち上がれなくなるかもなって思いながらも
ダッシュ。
今考えると200mダッシュって結構えぐいと思うけど、
その時はたった200m。
こんだけ走れるんだならもう少しバランスよく配分出来たんじゃないの?
と思いながら、ゴールへ飛び込んだ。
自分で
『ゴール!!!!』とかすれた声で言い、
思わずでたガッツポーズ。
その後歩きながら、
タオルをかけてもらい、
メダルをもらい、
バナナをもらい、
その間中ずっと、
『疲れた、疲れた疲れた』と繰り返していました。笑。
改めて思うけれど、
人間は凄い。
医者の友人に体力とは何?と尋ねた時に帰ってきた答えが
『人間の基本性能なんてそんなに変わらない。
要は集中力の違い』
みたいな事を言われて、なんとか集中しようとしたけれど、
なんかいろんな事をずーっと考えて、頭の中が空っぽになるような感じは
一切ありませんでした。
集中するって難しい。
でも、基本性能が変わらないのであれば、
集中できなくても性能を発揮する事は出来る。
だから、なんだかんだでフルマラソンを走りきる事が出来た。
一番大きな走る動機だった事も年始に無くなり、
まぁ、それでも、せっかくだからとモチベーションは落とさず、
そしたら、ゲームで言えば最後の方で手に入るようなアイテムが手に入り、
それを履いたらもっと楽しくなって、
気付いたら完走出来ていた。
応援してくれた全ての人々に感謝。
けれど、また走るかと言われれば・・・・・。
でも、フルマラソンを走る事でしか得られない感情がある事が
わかったのはもしかすると今年最大の収穫かもしれない。
・・・・・そろそろ、上半身の疲労が追い付いてきたみたいで、
首を動かすと痛い・・・。
今日もゆっくりお風呂に入って休もう。
しかし、この筋肉痛一体いつまで続くのやら・・・
ではでは、みなさん、ありがとうございました!
東京マラソン。
練習中はいつも一人、それが急に3万5千倍の人数と一緒に
走る事になるのですからその迫力は計り知れなかったです。
寝坊癖のある自分としては、
最初の難関、『早起き』に立ち向かわなければなりません。
最初は6時ごろ起きればいいかなと思っていたのですが、
混雑するだろうし、
早め早めの行動をと思い、目覚まし時計は5:30から5分おきに
6時まで、そしてぎりぎり寝坊しても間に合うであろう6:30に
駄目押しでセットしておきました。
結果は5:50に起床。
そこから朝ごはんは餅を二つ。
アミノバイタルを一つ。
カフェインはトイレが近くなるからと思いましたが
せっかくの早起き、珈琲を一杯。
気付けばそろそろ出る時刻。
昨晩予習しておいたテーピングを
足の指と膝に巻き、
友人からのプレゼントのCWXの京都モデルを履き、
さながら戦に向かう侍の心持で着替えを済まします。
と言ってもそこはお祭り。
どのくらい楽しめるか
自分は走りきれるか
どのくらいのタイムが出るか
東京の主要道路を走れると言うのはどんな気分なんだろう
などなど、
早く走ってみたいなと言う気分でいっぱいでした。
都庁前に付くと既に長蛇の列。
あの辺は超高層ビルに囲まれているので、
日が差さない。
スタートまでは一時間くらいある。
けれど、手荷物の預かりはさっさと済ませたい。
断腸の思いで
上着を脱いで、ランニング用の格好になりました。
そこで慣れているランナーならばビニール合羽みたいなものを
着ているのですが、その事をすっかり忘れていたのと、
人が密集していればそこそこあったかいんじゃないかという
希望的観測で防寒対策は無し。
ストレッチなどをして体を温めようと思うも、
一通り終えてもまだ時間にはならない。
トイレに行ったり足踏みしたり、
周りの人を見ていたりしていたら、
ようやくスタート。
でも、スタートの号砲は聞こえども
この離れたブロックからではあまり実感はない。
少しずつ歩き始め、道幅が広くなり、
前の人のスピードが上がり始める。
見上げればスタートラインと紙吹雪の残骸。
直前まで友人とメールしていた自分はあわてて、
携帯をしまいます。
気分は高揚し、沿道の声援は誰に向けられたものなのか
少し困惑しながらも、
体調は悪くなさそうだ、前の人邪魔だな、
俺いつもよりはやいのかな?
なんて事を考えていると
いつの間にか
2kmのサイン。
お~、もう二キロかこりゃ調子良いぞと
日のあたる場所では思い、
早くおわんねーかなあと30km以上あんのかよ、無理っぽくね?
など日光の具合によって
ポジティブになったりネガティブになったり
仮装している人を見つけては驚き、
通った事のある道をいつもとは違った視点から見てその風景の違いに
感動したり、
撮影ポイントでは前の人にならって両手を挙げようと思っても
なんだかこっぱずかしくて中途半端に手を挙げてみたり、
いやいや、その方がよっぽど恥ずかしいんじゃないの?
と自問自答してみたりで
いつのまにかの15km。
元来同じ道を通る事があまり好きじゃないので
折り返し地点というのはそれだけでつまらない場所という感じが
してしまいます。
でも、コースだから仕方ない。
嫌々ながらも走ります。
沿道では要所要所で
チアガールがいたり、お子様が躍っていたり、
太鼓をたたいていたり、
この祭りをいろんな人たちが盛り上げているんだなと
そしてその中で、主役とまでは行かないし、
ただ走っているだけの存在だけれど、
サポートしてくれる人はBMWの自転車でどこにでもいるし、
給水、給食所の人たちはしっかり声をかけて、とても楽しそうに
応援してくれている。
それだけで、チカラになる。
そんな風に思っていたものの実際は
足が痛くなり、小指が痛くなり、
なんか足が上がらなくなり、
掲示される距離数がいつまでたっても更新されない。
やっと、折り返しの呪縛から解き放たれたと思ったら、
今度は浅草まで行ってまた折り返し。
でも、今度は風景ががらりと変わり、
華やかな銀座を通って、浅草まで。
浅草には数えるほどしか行った事がなくて、
距離感とか土地勘は全くなく、
銀座から浅草まで走るなんて、
感覚的には奥多摩から吉祥寺くらいのニュアンスが自分にはあります。
その未知さには内心ビビっていましたが、
折り返してくる人を見ると
まぁ当然なんですが、
『戻ってこれる距離なんだ』と安心しました。
が、安心したからといって距離が縮まるわけでもなく、
そこからは痛みとの闘いだったような気がします。
あんまり覚えていないんですよね。
痛かったし、走る事もきつかった。
歩いても進めるけれど、走るともっと早い。
歩けば少し痛みは治まるけれども、
走るともっと痛くなる。
じゃぁ、痛くなるから走らないのであって、
体力はあるの?
そんな自問自答を繰り返し、
走ってみては歩いてみて、
やっぱきついわと歩いてみる。
でも、痛みに負けるってことか?
と奮起して走ってみると、
ちょうどいいストレッチ場所みたいなのが陽だまりにあって、
『あ、あそこ良いなぁ』
『ストレッチしたいなぁ』
とふらふらと走る人波をかき分け
その場所にたどり着き、
軽くストレッチをする。
けれど、その間に
さっきぬかしたはずの仮装している人に抜かし返されると
なんだか自分が凄く遅い気持ちになって、
ストレッチもそこそこに走り始める。
痛いなぁ
痛いなぁ
と思いながら、
給水まだかな
トマトまだかな
と腹をすかせながら
足を進める。
結局、
マラソン選手に対して感動する姿と言うのは
120%出し切っている姿にという事なんでしょう。
自分の様に練習少しで、雑念一杯の人間では
やはりそこまで自分を追いつめられない。
痛さに負け、歩くことを選んでしまうのは
一つの弱さであり、
単純に練習不足でもあるのでしょう。
雷門周辺では人が多くなり、
前の会社の人が応援に来ている情報があったので、
ちらちらと見ながら走るも見つからない。
遠慮というのも変だけど、
沿道で声援を投げつけてくれる人たちには
笑顔で手を掲げてハイタッチ待ちしている人が多くいます。
もちろん、それに応えるのも楽しいとは思いますが、
汗をぬぐい、鼻水をぬぐった手袋をしたままでは
どうしても遠慮してしまいます。
なので沿道からは付かず離れずといった具合に探していましたが、
見つからない。
そんなに早いわけでもないのに見つからない。
日比谷でも家族で連れだって来てくれた友人には会えず、
ましてや折り返し地点でも会えなかった。
ここでも会えないのか。
雷門を過ぎたあたりでもう会える事はあきらめていました。
が、突然名前を呼ばれ、振り返ると。
『いた!!!!!』
その瞬間痛みが吹っ飛び、何ともいえず嬉しい気持ちになりました。
応援と言うのは不思議なものだなと思いました。
彼らが持っていたワインを一口もらい、
また、走り始めます。
痛みはあるし、寒いし、給水所までどのくらいあるか分からないけれど、
走っている事自体は楽しいんです。
距離が近づくとか、
スピードが上がるとか、
そういう数字的なものでなくて、
走っているってそれだけで幸せだなと思うんです。
走るために必要なものはそろってて、
そいつらがきっと自分が感覚として味わってる以上に
頑張ってくれている。
それを制御するのが痛みなんでしょうが、
そんなもの無視してもいいよと言って足を前に出してくれる。
変な話、自分がもしひざだったり、
足首だったら、
『もう無理』
と言って、脳の命令を無視して攣ったりなんかして
走る事を止めさせていたんじゃないかと思うほどです。
次の5kmはずっと走るぞ!と思っても、
ようやく見えた掲示板ではまだ1kmしか進んでいない。
『ひゃー、無理』
と潔く歩き、
でもな~と思いなおし走り始め、
そんなこんなで
銀座に戻り、あと7km
ここからの7kmは体感的には20kmくらいあって、
進めど進めど進まない。
そんな中沿道では励ましのメッセージもより具体的な内容が多くなってきます。
はじめの頃は
『完走目指して頑張れ!!』
とかだったのが、
『痛いのは気のせい』
とか
『ゴールまであと5km』
とか
まさに我が意得たりといった感じで、
『そうだよな。痛いのは気のせいかもしれないんだよな。
だって、忘れようとすれば一瞬は忘れられるわけだろ?
それを連続してやれれば痛みなんて気のせいでしかないよな。
でも、痛いな。いや、気のせいでも、痛い、気のせい』
しまいには
『きのせいきのせいきのせいきのせい・・・・・・』
と呪文のように唱えていました。
汐留の文字が見えたころ、携帯を見ると友人からメールが入っている。
普通の真面目なマラソンならこんな風には出来ないだろうけど、
東京マラソンは何を競うわけでもなく、
楽しみながら走れる。
だから、写真も撮れるし、こんな風に携帯を見る事だって出来る。
後もう少し。
そんな内容だったけれど、
なんだかんだいってみんな結構見てくれていて、
ゴールした際にはみんなからメールが来た。
結構やりとりをしていた友人は現在位置の更新をしまくってる
みたいな事を書いていたので、
その姿を思い描くと自然に笑いがこぼれてしまっていた。
その時程、マラソンが前に向かって進む競技で良かったと思う。
これが自分の顔が見える競技だったらみな急に笑った自分の事を
変な人だと思うに違いない。
海が近くなり、風も強くなる。
坂だから、
風が強いから
日陰だから、
歩いてる人が多いから
といちいち言い訳を見つけては歩き、
あと少しなんだからと奮起して、
走る。
ビックサイトのあの建物が見えれば元気になるかもしれない
そう思っても全然見えてこない。
そうこう思っているうちに残り1km。
え?建物なくね?
まぁ、最後だし、走りきるか。
と駄目押しで走り始める。
長い長い直線。
そして、最後のコーナー。
残り『195m』の文字
ここで最後の最後の踏ん張りで、ダッシュ。
はたから見ればトロトロだろうけど、
自分としてはもうダッシュ。
多分、50人は抜いた。
そこに意味なんてないんだけど、
ぶっ倒れる事は出来なくても、
その寸前まで持って行ってみたかった。
倒れたら、立ち上がれなくなるかもなって思いながらも
ダッシュ。
今考えると200mダッシュって結構えぐいと思うけど、
その時はたった200m。
こんだけ走れるんだならもう少しバランスよく配分出来たんじゃないの?
と思いながら、ゴールへ飛び込んだ。
自分で
『ゴール!!!!』とかすれた声で言い、
思わずでたガッツポーズ。
その後歩きながら、
タオルをかけてもらい、
メダルをもらい、
バナナをもらい、
その間中ずっと、
『疲れた、疲れた疲れた』と繰り返していました。笑。
改めて思うけれど、
人間は凄い。
医者の友人に体力とは何?と尋ねた時に帰ってきた答えが
『人間の基本性能なんてそんなに変わらない。
要は集中力の違い』
みたいな事を言われて、なんとか集中しようとしたけれど、
なんかいろんな事をずーっと考えて、頭の中が空っぽになるような感じは
一切ありませんでした。
集中するって難しい。
でも、基本性能が変わらないのであれば、
集中できなくても性能を発揮する事は出来る。
だから、なんだかんだでフルマラソンを走りきる事が出来た。
一番大きな走る動機だった事も年始に無くなり、
まぁ、それでも、せっかくだからとモチベーションは落とさず、
そしたら、ゲームで言えば最後の方で手に入るようなアイテムが手に入り、
それを履いたらもっと楽しくなって、
気付いたら完走出来ていた。
応援してくれた全ての人々に感謝。
けれど、また走るかと言われれば・・・・・。
でも、フルマラソンを走る事でしか得られない感情がある事が
わかったのはもしかすると今年最大の収穫かもしれない。
・・・・・そろそろ、上半身の疲労が追い付いてきたみたいで、
首を動かすと痛い・・・。
今日もゆっくりお風呂に入って休もう。
しかし、この筋肉痛一体いつまで続くのやら・・・
ではでは、みなさん、ありがとうございました!