流石は百田氏。

まだ、三作目ですが、その読ませる力量には
感心させられます。

様々なテーマに挑んでその度に
その世界へ上手に引き込んでくれる。

今回のテーマは『美容整形』

当然、本書の中でも語られていますが、
外見の美しさよりも内面の美しさの方が大切だという話は
この本を読んでしまうと、

確かに内面の美しさは大事だけれども、
とっかかりは外見に勝るものはないのかもしれない。
と思ってしまいます。

私もとある町で働いて、
通りすがるだけの美人さんたちを
余りにも多く目の当たりにしてしまったら
美人になれてしまうんだなと思いました。

慣れると言うのは
美人は美人だと思うけれど、
それ以上でも以下でもない。

ただ、美人であるだけだし、
逆を言えば、
ただ、ぶすであるだけ。

あとは好みの問題なんだろうなと。

この好みと言うのは凄く個人的な問題で、
実を言うとほとんどの人が自分の好みと言うのを
把握していないんだと私は思っている。

なぜならば、
芸能人とか、
モデルだとか、
ああいった人たちが常に美の基準として
『好きなタイプは芸能人で言うと・・・・』
という質問にそのまま置き変わる。

具体的に、
『目はこのくらいの大きさで、
鼻はこうこうで、
口元はこんな感じ』
と言える人はかなり少ないんだと思う。

恐らくは好きになった人の顔を
数値に置き換えていくと、
似ている数字、
同じ数字と言うのが見つかるのではないだろうか?

要はそれほど外見にこだわりはないと言える。

けれど、
見栄やテレビなどから受ける情報で、
洗脳近い状態にされ、

『この女優が美人である』
と言う評価を自身の評価と勘違いしてしまっているのではないだろうか。

本書によると
美醜の区別がつくのは
4歳以降だという。

その前の状態では美醜の区別がつかない。

つまり、美醜という価値観がない。

ならば、美醜と言うのは
あくまでも後付けなのではないだろうか?


だからと言って、本書の主人公のような容姿を
持つ人の励みになるとは考えられない。

それに社会で暮らしている以上
美醜の基準が故意に作られていようがいまいが
出来上がってしまった価値観についてとやかく言うのは
負け犬の遠吠えでしかない。

けれど、
それで鬱屈してしまうのも
なんだかもの凄く馬鹿らしい。

いや、難しい。
社会の価値観にさらされながら
自身の基準を持ち続けると言うのは
面倒くさいし疲れるし、
なによりも変人でしかない。

そんなジレンマを感じながら読む本書。
そして、物語の結末は・・・・。


そして、本書を読んで思い出したのは
小学生時代のあの子。

けれど、
当時から私は時々、
『そんなに気持ち悪いのか?』
と思っていた。

今思い返すと、さらにその思いは強い。

恐らく、小学生にしては
大人ッぽ過ぎたのかもしれない。

もしかしたら、
今頃はどこぞでちやほやされているのかもしれない。


そんな無駄な想像と同じように
結末は私の中ではどうでもいいものだった。

物語だから終わらせなければならないという
宿命に踊らされた感が強い。


モンスター (幻冬舎文庫)/幻冬舎

¥760
Amazon.co.jp