この本程、薄く長い読みたい気持ちが継続していた本はないだろう。

どうしてかと言われれば、何となく読む気がしなかった。
積ん読を繰り返し、引越しの度に売り払い、100円で見つけては積読本に再び、三度と繰り返しているうちに、積読本の王と言われるようになった。

が、そう呼ぶのがどこの誰だか私も知らない。

さて、感想は、
こう言うものが今の小説を作っているのかもと思う程ベーシックなものだった。

数多の恋愛小説はある意味この小説の亜流であるような気がする。

実際に自分が体験した事はないけれど、実際に体験したくない出来事ランキングではかなりの上位にくるのではないだろうか。

内容を書きたいが、これは私の中ではミステリーに属する程、ぞくぞくする感覚を味合わせてくれた。

以下、未読の方はご遠慮頂きたい。




























主人公は正直、自分で書いている程、主人公の周りの人々が認める程才能はないのでは無いかと思った。

そして、顔立ちもパッとしない。

そして、性格は良いのかもしれないがそれこそが彼を凡人として象徴しているような気がする。

頭角を表していく友人たちから彼に向けられる賛美の言葉がどこかで虚しく耳から抜けて行く。

が、これは後半に明らかになるのであって、前半部ではぎりぎりストーカーではないレベルを多少の浮き沈みを繰り返している片想いを保っている。

と、こんな事を書くと斜めから読みすぎだと言われるかもしれないが、少なくとも前半では彼を応援していた。

彼の見ているものを信じ、悩んでいる姿はいつかの自分を重ね、同情し、励ました。

そして、見事な友情で結ばれている姿には友でいてくれる事のありがたさを感謝したりもした。

けれど、
後半の手紙から全てはひっくり返る。

思われ人だった女性と友人の男性の一進一退の攻防。

これは、とてもわかりにくい例で言えば、ある宗教団体が掲載している(た?)漫画を思い起こさせた。

簡単に言えば、
一人暮らしをしている兄のとこへ上京してきた妹がさりげなく兄から勧誘をうけ、何度も軽く誘われ、何度も軽く断り、幾度となく繰り返される他愛もない問答の末、ついには入信を決めてしまうというものだ。

ここでは、その可否については問わないが、兎に角、友人はまさにその話で言う妹役で、彼女への気持ちを優先する事となる。

最後の一文では、主人公がこの事件をバネとして捉えて、明るい未来を目指そうというとても清々しい終わり方をしてくれる。

けれど、問いたいのは、友人の態度だ。

それを良しとする気持ちもある。
けれど、やはり、無しだろう、
流れては駄目だろうと思う。

わが親友に置き換えて考えると、
あいつは絶対に流されないだろうなという確信がある。

だが、ここで出てくる友人、大宮だって友情に厚い人物だ。
なのに、何故…。

それは、友情に厚かったからこそ、言葉を重ねた彼女とのやりとりに閉ざしていた心の扉が開いてしまったからだ。

一応のハッピーエンドを物語は迎えるが、現実はこうはいくまい。
そして、私が大宮だったなら手紙は書かない。来た手紙も読まない。
だから、扉は閉ざされたまま。

けれど、
もしかしたら、ここまで人を好きになったことが無いのかもしれない。

と、〆たい所だが現実はそこまでシニカルではない。