ついに最終巻!!!

この日を待ち望んでいたのか、それともまだ早いと思っていたのか、
とにかくそんな事を考えてしまうくらい好きなシリーズ。

私はこの本を読んで、節分だとか七夕だとか、河童だとか正月だとか
そんな連綿と続けられてきた行事についてや存在について考えるようになりました。

もちろん、歴史なんてものは100%解明できるものではないし、
どんなに歴史書を読み漁ったところで、その当時を克明に再現することなんて
かなわないでしょう。

けれど、空想を拡げる事は出来る。
その空想に隙間がなければより真実に近い形であると信じてしまっても
構わない。それが本当かどうかは差し置いて。

この小説、一応ミステリーの形態を保っており、
殺人事件が起こり、解明に乗り気でない探偵役が結果的に事件を解明してしまう。
そんなよくあるパターンです。

しかし、驚くなかれ、今回は出血大サービスと取ったらよいのか、
そそくさと殺人事件は解明されてしまいます。

あくまでも歴史を語る上でのエッセンスとしてあるだけなのでしょう。

でも、それで十分。

私が読みたいのは歴史の闇の部分なのだから。

語れば冗長になってしまうので、
わかりにくいほど簡潔に書いてしまいますが、
今回の主題は『伊勢神宮』

私にはほとんど伊勢神宮に関する歴史的な知識はありません。

でも面白い。

それは、次にあげる疑問が疑問であるとすらされていない点でしょう。

・注連縄がない
・狛犬がいない
・鈴がない
・天皇による公式参拝が行われたのは明治以来
・何故歴史的に新しい外宮から参拝する習わしなのか
・・・・・・・・・・・・
などなどの疑問が提示されます。

全く知識がなくてもそのいずれも『なんでだろう?』と
首をひねらざるを得ません。

その疑問がある観点から一気に解きほぐされていく様は
快感であるの一言に尽きます。

その快感を得たいが為にこの本を読んでいるようなものです。

しかし、
この本を読んだ後、
人に語りたくなるのですが、
なかなかどうして聞いてもらえない。

特に女性となると一向に興味を示さない。
むしろ邪険にすらされてしまう。

そりゃ、話もうまくはないし、
支離滅裂な部分もあるかもしれませんが、
冷徹とすら思わせる態度で私の話を終わらせにかかります。

どんなに粘っても、
『そうなんだぁ』とのれんに腕押し、ついには根負けし、
話をやめるはめに。

じゃぁ、ここで語れば?
と思うものの、
私が抱く感想なんて、この本の受け売りでしかないので、
それならこの本を読んでもらった方が正確に情報は伝わるんですよね。

まったくのジレンマ。

まぁ、そんな話は置いといて、
このシリーズのサブストーリーでも
一応の決着が付きます。

あとがきによれば13年続いたらしいです。
なんとも自分が歳とったなって。

一度通しで全部読み直してみようと
思うものの、なかなか読む本が途切れない。

明日は何にしようかな。

QED 伊勢の曙光 (講談社ノベルス)/高田 崇史

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