闇の貴族を読んで受けた衝撃はいまだに忘れ難い。

日々起こる倒産や金融絡みの事件。
表面的に伝えられる事件の裏には蛆のように集る何者かたちが常に蠢いている。

それらに触れないで済んでいる日常に感謝すら覚えたものだ。

その著者による純粋な動物記。

全くの畑違いかと思いきや、扱うのは動物。今まで読んできた彼の作品は人間という動物を書いてきたにすぎない。
だから、彼らしい遠近感で描かれる動物たちの物語は残酷を遠く置き去りにした弱肉強食の世界だ。

人間に触れる事で私たちが感じる動物に対する愛玩的な部分を際立たせ、人間から離れる事で野生と人間との間に絶望的な断絶を明瞭にする。

グリズリーの話にしても、捨て犬の話にしてもそうだ。

人間さえいなければ物語に残酷さは伴わない。それはあくまでも、人間が作り出した価値だからだ。
野生に介入せざるを得ない人間の傲慢とも言える好奇心は種別を超えた意思の疎通を可能にするけれど、同時に人間に対する不信感を増長する事もある。

これはそんな物語。

悲しいのは人間でも動物でもなく、人間が紡ぐ物語だ。
だから、読み終わった後の感傷は特にない。
こういう世界に私たちはいる。
ただその立ち位置をより明確にしてくれるだけだ。

そこから、選べる選択肢は驚くほどに少ない。
だからこそ、考え始める事が出来る。

そう思うと、
この人間という存在は厄介というより、ややこしい。



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