昨晩書いたものが何だかとてもうろんなので書き直してみる。


「永遠の0」の作者の新刊、昆虫の生態モノ、感動作と書かれていれば買わない訳にはいかない。
この手の出会いは大事で、ブッコフで並ぶを待っていると、時機を逃してしまう。
この時機というのが読書においてはとても重要で、これを逃すと二度と読まなくなる、もしくは読んでも読まなくても同じという程度のものでしかなくなってしまう。

ここは、勇気を出して新刊で買う事にした。


スズメバチの生涯を追うこの物語は新鮮さで溢れている。
確かにスズメバチの行動原理に対する説明部分ではくどいなと思う事もあったし、スズメバチそれぞれについているネーミングがダサいなとも思った。

通り名も何だか中学生が考えたのではないかと疑うほどだしと案外不満はある。

でも、面白かった!
挙げた不満なんで取るに足らない。

スズメバチのほとんどが雌である事も、
スズメバチの種類によっても生態が違う事も、
カブトムシとは敵対しない事も、
狩った獲物は肉団子にしてしまう事も未知のものに触れる興奮をもたらしてくれる。

彼女と共に見る風景や価値観の共有が耳障りな羽音にすら愛嬌を、悲哀を感じさせてくれる。

世界は広い。
その全てを見てまわる事など不可能だ。
その上、周りの人間関係に深く関わり続ける事も難しい。
会社の往復ですら知らない事のほうが多い。
それに加えて、他の生物にまで興味を拡げてしまうのは研究者や好きでなければ浅はかかもしれないし、

もっと目を向けて注目しなければならない事柄で日常は溢れている。

けれど、キョロキョロと落ち着きなさげに辺りを見渡した風景に奥行きが出る事は、何ものにも代え難く素晴らしい。

恋が成就した世界は、
輝きに満ち満ちていた。

それはなぜだろう。

つまらない言い方かもしれないけれど、生物の本懐を遂げるチャンスだからではないだろうか?

ワーカーと呼ばれる彼女たちは、スズメバチで在る事を突き進む。
けれど、
女王蜂が役割を果たせなくなり、その代理として、ワーカーが変質する時、恋が出来る事に淡い期待を寄せるかもしれない。

そして、ちょっとした失望をするかもしれない。

それでも、一つの国としての巣を存続させようとする。


個を捨て、公に尽くす。
それが、国という存在なのだろうか。


この先、人間社会で差別がなくなる事なんてないだろう。
でも、こうして価値観を共有する事さえできれば隣を歩くことは出来る。


とても簡単な事なのに、難しい。


そこにある拒絶という反応は彼女達の羽音みたいなものかもしれない。


それに対する唯一の対抗手段は理性ではなく、好奇心ではないだろうか。


と、大袈裟な話になってしまったが、簡単にいってしまえば、好きな色ばかり使った塗り絵はそれ程満足出来ない事と同じだろう。

使う色を冒険してみるその姿勢こそが好奇心の踏み出しであり、
生物ではなく、
人間としての本懐なのではないだろうか。


と、そんな事を考えさせてくれる本書は今この瞬間何よりも刺激的だ。














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