立ち読みで十分。


興味があった。
彼の2年間に。

それから、飯場での生活に。

彼が逮捕されて、大阪の飯場で働いていた事が明らかになり、
その場所をTVで観た時は驚いた。

二畳程度の部屋にTVとベッドとは言えない寝台。

食堂と言われる食堂。

まるで、時代が数十年遡ったようだった。

現代の日本にこんな場所があったんだという驚き。
そして、やはりある意味の『治外法権』となっている現状。

昔、横浜のドヤ街を訪れた時に感じた異国感と同種の違和感。
治外法権とは言いすぎかもしれないけれど、
そう思わせてしまうほど、人種が偏っていた。

手記は殺人を犯し、駆け付けた警察から逃れるところから始まる。

手持ちのお金も乏しく、
稼ぐ手段もない。
しかし、彼は残飯をあさり、電車を乗り継いで、
日本各地を転々とし、沖縄で、大阪で職に就く。


逃亡者としての心理状態はおおよそわかる。
いや、わかる程度の思慮しか感じ取れなかったからだろう。

つまり、彼は思慮が浅い。

『僕が感謝というものをわかっていたら
こういうふうにはなっていなかったかもしれない』
(※原文とはちがう)
と語る彼の言葉の向けている先が自身でないように
感じてしまう。

どこか浮世離れしていると言うか、
自身を捉えていない。
自分が特別だとかそういうのではなくて、
単純に思考出来ていないと感じてしまう。

そして、
それは危機的状況を逃れる際に、
直感に頼っている記述でさらに確信に変わる。

読んでいると人間を見ているのではなくて、
人間じみた獣を見ているような気持ちになる。

生命の欲求が、種の繁栄にあるとしたら、
この獣の欲求は逃げる事だ。

ひたすらに逃げる事、
見つからない事だけに特化しようと
行動し続ける生命体。

それが彼だ。
もしかしたら、それが
『逃亡犯』という獣なのかもしれない。

この本の挿絵は彼が描いたものだと言う。

私はその絵を見た時、
彼はとても恵まれていたはずなのではと
思った。

文末に
印税は被害者家族にもしくは公益にと書いてあったが、
その言葉も空々しい。
嘘ではないし、本心だろう。

けれど、彼自身がその言葉の意味を理解していない。

だからこの本は
どこか空しくて、
扱われた背景に反比例して比重が軽い。



逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録/市橋 達也

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