11月こそ毎日更新と決めていたにもかかわらず、

かのイッキミで早々の断念。

書きたい事が多すぎて、手が追い付かない。

いつの間にかすっかり秋めいて、

バイクできる風が冷たく、体が冷える。


なかなか三巻が見つからないので、

忘れないうちに書き留めておこう。


とうとう、歴史上の、この小説の主要人物が夭折した。

歴史の奔流がさらなる渦を作り出し、

それに巻き込まれる人間が変わってくる。


今この時代、誰もがメディア化し、情報を発信できる。

そしてそれは閲覧数という数字で取捨選択することを

容易にしている。

でなければ、情報が錯綜し、混乱を招くばかりだろう。


何らかの情報に対する情報がなければ、人は選択する事が出来ない。

つまりは自分自身を信じ切れていない。


今回の主人公と思われる人物は自分を信じている。

自分は自分だと言いきれ、それに恥じぬ行動を持ち合わせ、

誰もがその表現に納得してしまう。


それを強さと表現する事も出来る。


だが、そうなのだろうか。


自分が自分である事は、自分である以上変わらない。

太陽が太陽であるように、自分は自分でしかない。

しかし、その自分が『ない』人間は決して少なくないだろう。

教育、信念、行動力、etc

そのどれもが不足しているからだろうか。


自分もそれにもれず、この小説を読み、

憧れ、畏怖し、そして感嘆する。


つまるところ自分はまだ自分を確立していやしない。

論語にあるように、

人間40を過ぎて、人に必要とされないならば、

その人間はどうしようもない。

と、言われるに足る年齢まであと少し。


自分を殺す。

その信念を新ためて確認させられた。



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