なんだか聴きなれない言葉。アフォーダンス。

環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって

獲得することができる意味/価値であると定義される。


モノには行動を誘発させるものがある。

こうして叩いているキーボードは指よりも少し大きくて、そして、押すと凹む。

また、ボタンとボタンの間にある隙間もその下に空間がある事を想起させる。


キーボードは押すものだっていつ気付いたんだろうか?

それはもしかすると、ピアノの鍵盤かもしれない。

でも、その前に何がある?

何らかのおもちゃだったり、エレベータのボタンだったり、バスの呼び鈴だったり。

そのどれもがやはり行為を誘発するデザインとなっていないだろうか?


最近購入したiphone。

タッチパネルのこの機種ははたしてアフォーダンスの定義に当てはまるのだろうか?

自分なりに考えてみると、上記のようなボタンとしての役割はないと思う。

なにせ、上記で自分が定義したものを全否定されているようなもんです。


メールのキーボードは打ちにくいし、カーソルの移動も格段に面倒くさい。

自分の感覚とiphoneの反応がうまくいっていないのだ。

iphoneはおそらく人間に合わせる事までは覚えないので、自分が合わせていくことになる。

そうすると、むしろ使い安さすら覚えるだろうという予感はある。

行為は決して誘発はされない。しかし、色々試していくうちに互いの距離が近づいていく。

こう書いてみるとモノというよりもむしろ人間に近いのではないだろうか?

つまり、むしろアフォーダンスの極北がiphoneなのではないだろうか?

なんの行為も誘発しない。

ただそこにある。

何かはわからない。

だから、いじる。

!!!

あっ、答えてた。


そうか、何かわからないからいじるという行為を誘発してるんだ。

ちょっとくぼみがついてて、押せる感触があって、指で画面がスクロールしたり、拡大したり、

そうやっていじらせるという行為に特化したのがiphoneなんだ。

なら、せめて、指の油対策を!!!




そうそう、この本読んで、ミミズ教って宗教作れるんじゃないかってくらい、

その偉業には驚かされました。



アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)/佐々木 正人

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