ヨガやってみました。

教室はほとんどが奥様方。

自分はちょっと遠く離れているにも関わらず、

軽い寝坊をしでかし、当初の予定は電車だったのですが、

直線を自転車で言った方が早いかもしれないという

予測を立て、久々に自転車と自分との勝負を行い

結果、時間には間に合いましたが、

すでにひと汗かいた状態でのスタートとなりました。



ヨガを教えてくれる先生の声が

まるでFMラジオを聴いているかのようで、

すごく耳触りが良かったです。


さて、肝心ヨガ。

そのスタートで、小話がありました。

端的に男らしく言うと(男らしくある必要はないが…)

『今を生きろ』とそして今日のヨガでは、

『呼吸を意識し瞬間を意識しろ』と。


これは!と今までかじってきた哲学の一端と

重なり、

それまでは『ヨガ=体・心の動き』

だったのですが、

『ヨガ=哲学』

であるとあたりを付けました。


いやいや、それは『生き方』の問題で、

『哲学』とはちがうんでないの?

という疑問も聞こえてきますが、

そうではない。

『今』を定義し、『瞬間』を認めることで、

『未来』と『過去』を認めない事が重要に

なってくるのです。

そこでは『瞬間』繋がりがあるだけで、

時間の流れとして『未来』も『過去』もない。

今ここで感じられている瞬間が全てである。

ということに言い換えられるのです。


ならば、それは『時間』に対する哲学と言って

良いのではないでしょうか?


先日書いた道元の解説本でも同じような事が

書かれていました。


まぁ、仏教はインドで生まれ、中国、日本へと渡って

来たものですし、インド哲学は仏教よりも歴史があるので、

当然といえば当然だと言えます。


道元は、なのか、仏教的にはなのか、そこら辺はわかりませんが、

『ちゃんと生きろ』と言っています。

茶を飲みながら、TVを見るとかなんてもってのほか、

恐らく私の大好きな組み合わせである、

『タバコ』と『コーヒー』も怒られてしまうでしょう。

お茶を飲むときはお茶を飲むことに一所懸命になりなさい。

と言う事です。

なんとなくだらだらと口にものを入れ、

味わうともなしに味わってしまっている。

それは日常生活全てに言える事で、

私などはどこから手をつければいいのか

わからなくなるほど、『ただ茶を飲む』事すら

出来ていません。

いや、別にしなくても、悟りたい訳ではないので

全く構わないのですが、

『ちゃんとお茶』を飲む事が出来ない人間には

おそらく『ちゃんと建築をする』事など、

夢のまた夢であると断言できます。


だから、一瞬一瞬、引き締めて挑んで行く。


その心と体のアプローチの方法として

『ヨガ』と言うものがあるのだと、

冒頭の小話で気付いたのでした。


そこから、いよいよ、実践が始まります。

体を動かしながら、先ほどの小話について、

考えている自分がいます。

そこで、

『では、今を意識して、呼吸しましょう~』

『何も考えずに頭の懲りも解してしきましょう~』



考えようとしてたし、考えて、いろんな繋がりが

見えてきたら面白いなとわくわくさえしてました。


で、やってみると『力を抜く』って難しい。

力を入れる事よりも。


最後の最後、

かなり疲れたし、自転車での疲れもあったので、

眠ってしまいそうな位、

仰向けの姿勢で脱力してたつもりでした。

が、

見回りに来た先生が、両肩をぐっと下に

押し付けるのです。

それはつまり、力が抜けてないということでしょう。

あれほどリラックスし、力が抜け、

自覚できる程間抜けな表情をし、よだれが垂れなかったのは

奇跡と言われてもおかしくないほどだらしない口元を

していたにもかかわらず、肩に力が入っていたとは!!!



今回のレッスン中一貫して言える事ですが、

呼吸と体の動きを意識的に合わせる事って

こんなにも難しいとは思いませんでした。




自分の体すらままならない世界ではありますが、

人間の知覚の全てが世界の限界ではない。

虫や動物たちが知覚している世界は全く違う。

そんな事をテーマにした本を明日読んでみたいと思います。





動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)/日高 敏隆

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