小学生の頃はまった偉人の伝記漫画以来のシートン。

ファーブルの方が個人的には好きなんだけれど、『オオカミ王ロボ』の話も乗っていると言うので、
買ったは良いけれど本棚に眠っていました。

なんていうのか、仕事とシートンの観察はすごく似ている気がする。

仕事って一つの事だけにとらわれちゃうと、先に進まない。

全体的な像を俯瞰してから、進めて行く方が効率的にも、把握するにも都合が良い。

シートンのやってきた事はその俯瞰に当たると思う。

動物たちを観察することで、彼らの個性を認め、彼らに敬意を払う。

だから、彼の文章は、訳だけど、きっと敬愛にあふれている。

面白ない話なんて一つもない。

それはきっと今を生きている人も、名も知らぬ昔の人もその人生をシートンに観察させたら、

絶対に面白くなれる。

と言う事は、つまり、人生は何事にも寄らず面白いものなのだ。

鬱になったり、不平不満を言ったり、なんていうのかな、

負の感情を抱く事なんて幾らでもできる。選択できる。

でも、それは自分が自分を観察しているからにすぎない。

他人から観察された時にはすごく魅力的な人生なのかもしれない。

でも、自分は自分だから自分の価値観で自分を判断してしまう。

それはとてももったいないような気がする。

自分に素直に生きる事がそれほど良い事だろうか?

私はそうは思わない。

人に迷惑をかけなきゃ良いというのが正論としてまかり通りそうな危うい時代だけれども、

そこは、観察に耐られている、自分という存在をないがしろにしているだけなのではないかと思う。



熊の一生にあれほどの血肉を付け加えられるシートンと言う人物は本当に動物が好きで、

たまらなかったんだろう。

そんなシートンをうらやましくも感じ、構成に名を残した彼の業績を目の当たりに出来た幸せを

感じる事が出来る一冊。


核心はないけれど、彼の見聞きした動物の行動の詳細と言うものはきっと

生命の真理を射抜いているのではないだろうか。

なぜなら、俯瞰し精密に記述した彼の文章に動物の解明されていない部分の

答えの一部があるような気がしてならないからだ。

理屈が先にあるんじゃなくて、勘が先にあってそれが理屈に合っているか。

その勘が研がれていれば研がれているほどその整合性は増すと思う。

シートン動物記 灰色グマの伝記 (集英社文庫)/アーネスト・T・シートン

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