泥。

そして、逞しい。

この本の中で論じている小林秀雄は抜き身の刀と言ったところだろうか。

だが、坂口安吾は違う。

堕落論と言うからには堕落することを論じているのはわかるが、

想像とは全く違っていた。

むしろ逆。

堕ちきったところから這い上がれと。

そこから、何かしらかをつかみ取れと。

少し前ならば感化されていたかもしれない

言葉の強さ。明快さ。

しかし、具体的に堕ちると言う事はどういう事なのか、

読み飛ばしてしまったのかもしれないが、見当たらなかった。

その堕ちていく場所こそが、この論旨のもっとも重要なところのような気がする。


堕落とは言葉が悪いが、自分を棄てる。プライドを棄てると読み替えてもいいのかもしれない。

食うに困って闇屋から始めて何が悪い。

そこからつかみだしたものが本物なんだ。

対価なくして本物は得られない。と。


戦後間もないころの日本は生きるということに必死だったのだろう。

泥臭く、ひもじく、日々の食事すらままならない。

だが、戦時中は不思議と泥棒に入るものはなく、みな戸締りなどしていなかったという。

荒廃した月夜に浮かぶ街を見たとき坂口安吾は『美しい』と感じたらしい。

確かに、その光景は言葉を失う美しさであろう。

つまり、彼はその美しさとは堕落した人間がうごめいているからであり、

そのうごめきに無駄の無さを、壮絶な生命力を感じ、美しいと気づき、

堕落こそが行くべき道ではないのかと。

だが、彼はそこから先をあまり言及していない。

つまり、大きく言っている割に考証が少ない。

あくまでも文学的に、感覚的に、堕落を論じる。

面白いとは思うが、感銘を受ける程ではなかった。

そのほかにも小林秀雄論や太宰治論、悪妻論といった読み物として面白いものが詰まっている。


書いていて思った。

先に書いたが、つまり、彼は論じているのではない。

小説を書いていたのだと。

そう思うと、にやりとさせられる。

堕落論 (角川文庫クラシックス)/坂口 安吾

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