俺の自転車のライト返してくれ!!!


と一叫び。

全く、なぜ人のモノを盗んで行くのかさっぱりわかりません。

構造を良く分かってないとはずしにくいはずなのに。。。

同じものを付けてる人を見かけたら有無も言わさず、自転車を壊してしましそうです。

でも、朝は時間がないし、夜遅いのでほとんど駐輪場に自転車は残っていません。

悲しいかな。結構気に入っていたのに。


さて、本日というか、ずーっと読んでは他のに手を伸ばし、また少し読んでは他のに手を伸ばして早二週間。
やっと読み終わった『正法眼蔵 随聞記講話』

宗教家であり、日本最大の思想家と言われる道元の講和を抜き出して著者の解説を加えたものです。

様々な文献から例を拾い、丁寧に道元の言質をとらえていく事ができます。


正直、ここまでエキサイティングに読み込めるとは思ってもいませんでした。

最近、勝間さんやその他自己啓発系の本が毎日のように発刊されていますが、
そんなもの読まずにこれ読んで深みにはまった方がよっぽど為になるのではと思った程でした。

でも、速読はマスターしたいですけどね。

いくつも衝撃的な考え方があった中で、
著者の取り上げた幸田露伴の一節が今の私にまさにぴったりでした。

要約すると
『思い切って高いものを買う事は出来るけれど、それを盗まれたり失った時に乱れた心を平静に
するのはとても難しい。
ならば、そんなものを所有して喜ぶ心を持たないほうが良い』

という感じです。

盗まれたライトは別段高いものでは無かったですけど、それでも盗んだ人間に対して憎しみを抱いてしまう。
もちろんライトを夜点灯しないと車を運転している人にしてみれば、轢いてくれと言っているようなものなので、絶対に盗まれないようにしておくべきでした。



道元は座禅することが全てであるという。
お経も偶像も悟りも棄てて徹底して身心脱落し座禅を行う事が悟りである、と。(多分)

これを一般社会に当てはめると、
『とにかく、業務、生活に励め!』と
自分には読むことができました。

もちろん、その為に食事をないがしろにしたり、花鳥風月に遊ぶことを忘れたりしては、それはそれで
地獄みたいな生活しかないでしょう。

いずれにせよ、自分をコントロールしつつも、自分を殺していくという矛盾を解消していかねばなりません。

自分を殺す。

ちょっと怖い言葉ですが、自分を超えるとでも言い換えても良いのかとも一瞬思います。

ただ、超えると言うのは現実問題出来ないと思います。
自分は自分。身の丈がある。

だからこそ、『殺す』と言うのがしっくりくるのかもしれません。

道元の透徹した思想を直に受けるのは『正法眼蔵』本編まで待ちましょう。


別に生き方とか、考え方なんて人それぞれだし、人にとやかく言われるものではない。

ただ、道元の思想から生まれた言葉は冷たい湧水のように詩的であり、
その生き方はとても彼の説いた事をすべて実践していたとは思えないほど豊かで美しい。


言葉とはかくあるべきと思ってしまいました。
そしてまた、こういった建築を作ってみたいと思いました。

正法眼蔵随聞記講話 (講談社学術文庫)/鎌田 茂雄

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余談ですが、廃墟の魅力って『侘び寂び』の『寂び』だと思います。
それについてはもう少し考えてから。

くだらなく長い文章をここまで読んでいただいてありがとうございます。

では、また。