さて、いよいよのめりこんでまいりました。

考えて見れば主人公は井上靖本人なのではないかと思いました。

孔子の傍らで末弟子ともいえぬ、旅の縁で付いていくことになった『蔫薑(えんきょう)』=普通の人間の目を通して見た孔子像というもの、孔子の本質的な部分を書き出す事に勢力を傾けているような気がします。

それはつまり、論語を読んだだけではその深みに至らない(よほど読みこまないとそうはならないだろうけれど)人や中国古典の孔子、三大聖人の孔子と肩書きばかりのイメージが先行してしまい、髭を生やした仙人面した小難しいことを言う厳しい人物という孔子像がなんとなくしみついている人には論語そのものを読む前に読んだ方が想像が働き、色どりが増すのではないだろうか?

実際、この次かその次かくらいに論語を読み始めるつもりで入るけれど、この本を読む前よりも今の方が楽しみになっている事は間違いない。

残りの数章で蔫薑が孔子研究者たちと一体何を語り、何を再発見するのだろうか?

小説の中では、いつの間にか日が暮れている描写が出てくるが、まさに、一息つき顔を上げた時、喫茶店の外が暗くなっていた。

小説として読んでいるのではなく、その座談会にて拝聴しているそんな気分にさせてくれる。

孔子 (新潮文庫)/井上 靖

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そして、フォトリーディングにて、
増田友也『家と庭の風景ー日本住宅の空間論的考察』

探しに探してようやく特殊図書館(こんな名称があるかはしりませんが)にて借りてきました。

ざっと目を通した感じからすると、自分の知りたかった日本建築の成り立ちからその構成要素の分析、そして、その粋である桂離宮について等々を扱った留学生向けの講義をまとめて本になったものなので
全体的に読みやすく、丁寧な印象を持ちました。

建築家の言葉と言うのは意外と文章としてはいまいちな時があるので、流石!と言ったところでしょうか。

そういえば、セシルバルモンドの『インフォーマル』を読み直して感じたのが、『もしかすると、訳者下手なんじゃないかな?』という疑念。
以前セシルの展覧会に行ってきましたが、そこの訳文も結構下手だったと聞きました。
まぁ、違う人だとは思うので、多分翻訳しにくい文章なのかもしれません。

英語読めるようになって原文を読むまではずーっと引きずりそうですが…。

家と庭の風景―日本住宅の空間論的考察/増田 友也

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クライミングで腕パンパン。