しまった!!

新たな昨晩新たなキーワードを抜き出し忘れてしまいました…。

なので、思い出し思い出し行きましょう。

課題図書
王陽明 知識偏重を拒絶した人生と学問―現代活学講話選集〈7〉 (PHP文庫)/安岡 正篤

¥600
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(四日目感想)

フォトリーディング⇒スーパーリーディング⇒ディッピング⇒新たなキーワード
計30分


※読書感想※

王陽明が説いた『知行合一』とは学んだ事と実践というのは二つで一つであり、それ一つではただの薄っぺらい知識であり、行動原理に乏しい実践である。

ここでいう知識とは『至良知』にある『良知』も含まれているだろう。
『良知』とは「人間本来に自然と備わっている知恵』と言って良いだろう。
これは老子の思想に影響を受けていると思われる。
実際、陽明は『五溺』と言われる時代に老子にはまっていたという。

五溺には他にも『射馬』(単語はあっていないかも。要は射的と馬術)や『詩歌』といったものがある。残りの二つは書いてあるか書いてないか不明。

そして、その良知をそのまま自然に備わっているから人間は素晴らしいで終わらずにその『良知』を極めることを望み、『至』=『極める』という事なので『至良知』という言葉が生まれた。

と、ここまで書いていて思ったのがほとんど要約になってるな…。
まぁ、気にせず進めよう。

宮廷では上の人間が扱いずらいタイプだったらしく、業績をあげるものの、地方へ飛ばされてしまう。
ただし、そこでも暴動の鎮圧をうまく収めたりして、余計に疎まれてしまう。

そんな中でも勉学にいそしむことを怠らず、左遷先の竜場(多分)において『我』=『吾』に至る。
これを『竜場至吾』という。

ここでいう『吾』とは自分自身という事ではなく、『たった一人にして、至高の存在』(多分)である。その『吾』が至る根源的な『知恵』を持って『至良知』となる。

また、『六然』という言葉は陽明ではなく同時代のサイセン(文字思い出せず)という人の言葉。

(カンニングします)
・自処超然・人処藹然(あいぜん)・有事斬然・無事澄然・得意儋然(たんぜん)・失意泰然
その意味は五日目の時に。

この六然をおさめた人ならば大きく間違いのない人物と言って過言ではないらしい。

この章以降は歴史的な事柄を交えながら陽明その人を外から埋めていくような記述が多いような気がする。固有名詞が多いせいかいまいち頭には入っていない。

本書の冒頭で『陽明学は反体制とみられている節があるがそれは全くの間違いである』というようなことを述べている部分がある。
三島由紀夫の自害を例にとり、マスコミがその行為に『知行合一』をあてはめ、『陽明学』そのものを反体制的としてしまった。
著者に言わせれば浅はか極まりないらしいし、実際その通りだろう。
また、時代は忘れてしまったが、江戸時代ごろだっただろうか、そのころ、陽明学をおさめた学者が学校を開き、教師をしていた。
(ここからイメージで記述します)
その人物はとても高潔な人格者で、民衆の評判も良かった。しかし、その土地の有力者からすると疎ましいものがあり、隙あらば難癖つけてやろうとにらみを利かせていた。
税が高いの民衆が苦しいのと訴えるその学者がその実践を試みようとした時に、大飢饉がおこってしまう。こじつけ大好きな有力者はそれを陽明学のせいにしてしまい、日本では『陽明学』=『反体制』とされる向きが出来上がったのだという。



さて、これを書いている今日が最終日の五日目。
30分以内に
フォトリーディング⇒目次読み⇒気になるところをスーパーリーディング⇒ディッピング⇒質問に対する答えを見つける⇒(高速リーディング)⇒最後の10分間でマインドマップの作成。
マインドマップは本のすべてをマッピングするのではなく、当初の目的に関連したマップを作ること。


疑問が弱かったのか、要約に近い形のマップができそうだが、まぁ、別に気にせず作成してみよう。

4日目が終わり思ったのは、確かに最初から最後まで読んでいくようなスタイルの読書よりは理解できていると思う。ここに記述している内容は推敲なしの文章なので乱雑ではあるけれど、多分4日分約2時間かけて本書を読みこむよりはずっとずっと細部まで理解しているだろう。
ただ、まだ、陽明学の骨格というか本質、言葉になる前の状態がつかみ切れていない。

それに、一番効果があるのはフォトリーディングではなく、事前の調査、プレビューでないかとも思ってしまう。
フォトリーディングしたからこそ、この理解度なのかもしれないが、プレビューでも十分いけるのではないかなどと思ってしまう。

仮にフォトリーディングしてるからこそであるというのなら、
フォトリーディングの効果は目に見えずらく、実感しづらいのかもしれない。