本採用されて、三年目の春を迎えることができた。

 生きているのが不思議だ。


 子どもたちとのやりとりは毎日が新鮮で、毎日が喜びにあふれている。

 信じられないほど、幸福な日々だ。


 が。


 周囲の大人は相変わらず。

 大人と子どもの間でバランスをとるのに必死。

 死なないように生きよう。


 来年の三月には、三年間、いっしょに勉強した子どもが卒業してゆく。

 昨年秋に、そのことを思って、ふいに涙が出た。

 お別れするなんて、さびしすぎる。一生一緒にいたい(結婚か!?笑)。

 そのくらい、手をかけた。

 このさき誰も、私以上に彼らを大切にしてくれる人はいないと、本当に思っている。

 そのくらい、私は、彼らとのやりとりを楽しんでいる。

 と、書きながら号泣しているのだ、私は(笑)。


 でも彼らは巣だってゆく。成長はものすごく喜ばしいのだが。

 別の場所(段階)に移ったら、もう、この場にとどまる私とは会いたがらないのが彼らなのだ。

 それがものすごく悲しい。

 複雑な気持ち。


 とまあ泣いてばかりもいられない。

 三年目の春。

 一年目は激動の年だったので「激」

 二年目はとにかく闘ったので「闘」

 。。。。。

 。。。。。。。。。。。。

 激闘甲子園になってしまった。。。。

 これではいけない、と思い、今年はすでに一字を決めた。

 「拓」

 いろいろ、拓けますように。拓く努力をする一年にすると誓う。

 先日公開された映画を観た。

 ホプキンス+エクソシスト=オカルト、と思っていたら大間違い。

 大変勉強になった。


 新約聖書 テモテへの第一の手紙 6章12節

信仰の善き闘いを戦い、永遠の生命を勝ち取りなさい


 を引用した、最後の科白、

Fight, the good fight

with all thy might.


 という言葉が大変印象的だった。

 無力ではあるが、闘いは続けねばならない。

 巨きな悪、システムとの闘い。


 我が師は、「最初から負けが決まっているかもしれない」と云う。

 そうかもしれない。

 だが、負けるとわかっているから闘わない、というのは間違っている。

 負けると知りつつも闘う。そこには何等かの意味が生まれるはずだ。

 という僅かな希望を抱いて、今日も現場へ向かう。

 丸一年ぶりの記事となる。

 書きたいことは日々積もれども、なかなか筆を執ることができず。

 いつのまにか、関東の一都市で、本職に就いてしまった……


 迷いが消えない。罪悪感が常にある。

 まず自己肯定感は低いまま。

 ともあれ、偉そうにキョーイクに従事しているのではある。


 さて。

 道徳やら人権教育やら。言葉は立派で美しいが。

 現状はどうか?

 フツー学級で遣えない教員を特別支援に回し、さらに遣えないモノを支援学校に「回す」。

 このシステム。

 この現状があるうちは、子どもにいくら立派なキョーイクを施しても、まったく説得力をもたない。

 なんてむなしい教育であろうか。

 むしろ、教育というものの空虚さを子どもたちに伝えてしまっているのではないか。

 私はいつか、堂々と、管理職に伝えたい。この事実を。


 私には守るべき家族がない。

 だから闘うことができる。

 一人で。誰もまきぞえにせずに。

 そのためにこそ、独りでいるのではないかと思う。

 今このときも。