王太子シャルルはジャンヌダルクの健気なそして勇敢な活躍によって 無事ランスへ行き、フランスの歴代国王が戴冠式を挙げた大聖堂で無事戴冠式を上げヴァロワ朝第5代の国王としてシャルル7世となります。
シャルルは第4代国王シャルル6世と王妃イザボー・ド・バビエールの5男として生まれました。 しかし、これからがこのブログの名前とした「色」に関係してくるのですが、イザボーは俗に「淫乱王妃」というあまり有難くない綽名をもらってしまうほど、フランス、ブルゴーニュ、イングランドの国王級の男性にいろいろと 仕掛けをして国の運命を狂わせてしまう女性だったようです。お蔭で王太子シャルルも自分は国王シャルル6世の子ではないのではないかという懐疑に生涯取り憑かれていたといわれています。
そんなこともあってか、清純なジャンヌダルクのおかげで戴冠式を挙げながら、その後ジャンヌがコンピエーニュでブルゴーニュ派の捕虜となりイングランドに売られた後も、魔女裁判にかけられた時も救出を試みるわけでもなく冷たく放置したままなのですね。
シャルル7世のお妃はアンジュー公ルイ2世とヨーランド・ダラゴンの長女マリー・ダンジューです。正式なお妃がいるのにあろうことかお妾、側室、フランスじゃあ正式に国王とかに認められた「寵姫」をもち、もう首ったけと言うかいうなりになってしまう情けない国王なんですね。シャルル7世の寵姫がフランス一の美女と謳われたアグネス・ソレルです。
1415年イングランド王ヘンリー5世がフランスに侵攻。アザンクールの戦いでアルマニャック派を中心とするフランス軍に大勝しノルマンデイーを征服します。
シャルルの兄は2人とも早死にしシャルルが王太子となります。パリはブルゴーニュ派の支配するところとなりシャルルはブルジュに亡命しました。
1419年、シャルル王太子とブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)はイングランド王に対して共闘すべく、和解交渉をモントローというセーヌ河とヨンヌ川が合流する町で開きます。交渉の場で王太子支持者が無怖公を暗殺してしまいます。
ブルゴーニュ派は怒りこれを機にイングランドと手を組むことになります。
トロワ条約が結ばれ、あろうことに王妃イザボー・ド・バビエールはイングランド王ヘンリー5世が将来フランスの国王を兼ねるといった条項を書き入れてしまいます。
フランスにとって幸いなことにヘンリー5世は病死してしまい、フランス国王とはなれませんでした。
