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雷神トールのブログ

トリウム発電について考える

ブロトンヌの森

セーヌ河は河口まで残すところ55kmといった辺りから2・3回大きく蛇行します。ルーアンの街を右岸に見ながら少し下るとセーヌは大きく南へ曲がります。そして小物を入れる巾着みたいに袋状にループを描き、北に戻ってから、まだ2回ほど蛇行しながら英仏海峡に向かいます。河口にはヨーロッパで3番目に大きな港町ル・アーヴルがあります。

セーヌがループ状に蛇行して描く巾着の内側一帯は、「ブロトンヌの森」と呼ばれる大きな森に覆われています。一帯は「ブロトンヌ自然公園」に指定されています。ブナの原生林があり、春になると若葉が吹き出て、一帯が青葉若葉を透かして差し込む陽光に明るい緑色に包まれます。そして地面は一斉に咲く野生のヒヤシンスに覆われ紫色の絨毯を敷いたようになります。

いまから25年前の1995年、急死した親友の面影を残したくて私は一編の小説を書き始めました。彼は水泳が得意でした。それが原因となり心筋梗塞で亡くなったのでしたが、私は彼をモデルにした日本人青年がセーヌが流れ込む英仏海峡を泳ぎ、セーヌの水の勢いに流されて死の一歩手前まで必死に泳ぎ続ける姿を描きたかった。長編は私には手が余るのか、読み返すにつれ欠点が露わになり未だ完成できていないのですが、諦めてはいません。最初の構想から随分と変わったものになるでしょうが書き上げる積りでおります。

小説の主人公 Kazuaki は日本人の青年でル・アーヴルに住んでいます。彼の恋人ジャンヌはこのブロトンヌの森で育ちました。父親がこの森の「森番」だからです。ある日、Kazu と両親はジャンヌの案内でルーアンの大聖堂を観た後、ブロトンヌのジャンヌの両親が住む森番の家を訪ねます。以下はこの書きかけ小説から断片の引用です。

老人が語るブロトンヌの森

「ウイリアムが英国を征服した折は、このブロトンヌの森からも木を切り出して舟を造った。一○六六年の九月二八日の夜、それまで風を待っていたウイリアムの船団は海峡を渡った。船の数は全部で千五百とも千六百ともいわれておる。ブロトンヌの領主、ロジェはそのうちの六○艘を供出したんじゃ。千六百艘のうちの六○じゃたいした数じゃないと思うじゃろが、ハスチングスを占領し、ロンドンに凱旋したウイリアムはロジェの貢献をたいそう喜んで、英国に欲しいだけの土地を褒美にやるというたんじゃが、ロジェはブロトンヌに居たいというて英国にはゆかなんだ。この戦役で海を渡った兵隊の数は六万。ノルマンデイ上陸作戦の逆を八百八十年前にやってのけたんじゃな。ロンドン搭を建てたのもウイリアムじゃよ」

この森の南西のはずれに、石造りの巨大な二本の塔と側壁だけが残った遺跡があります。ジュミエージュの僧院跡。

 

 

 

 

ジャンヌの母エリザベットが語るジュミエージュ

「ああ。ジュミエージュは昔たいへん重要だったところです。七世紀に建てられ、ヴァイキングが侵入したとき、僧院は略奪の餌食にされ廃虚になったのですが、十世紀に、ベネデイクト派の修道院として再建され、ウィリアムが英国征服をした翌年、だから一〇六七年、ルーアン大司教により教会として聖別されました。その後、フランス大革命が僧院と教会をもう一度廃虚にしてしまったのです。信じられないことですが、材木商人が爆薬で破壊し、石を切り売りしたのです。いま残っているのは、だから、壮大だった僧院のほんの一部だけですよ」

これを書いた時、筆者はアニエス・ソレルのことを知りませんでした。
こんど、少し調べたので、この特異な美女の悲劇的な最後につき、3回ほどにわたって書きたいと思います。