ヴァランシエンヌという町はフランスの北、ノール県にある。ノールは北の意味。県庁はリールという大きな町で19世紀には石炭と鉄など北部工業地帯の中心として栄えた。現在もボタ山があちこちに残っている。20世紀後半には重工業の空洞化が進み、失業率は20%を超えるなど不況の代表のような地域と化した。
ヴァランシエンヌに残る古い民家 ↑
ノール県の他の町と言えば、ダンケルクがある。第二次大戦の初期、ナチスドイツの機甲部隊が アルデンヌの森の樹を薙ぎ倒してフランスに攻め込み、北のベルギーから侵攻した部隊とフランス・イギリス連合部隊を挟み撃ちにし1週間と経たないうちに世界一と謳われた英仏軍を敗走させた。 連合軍は英仏海峡の重要港ダンケルクに追い詰められた。英国から大小数千の船が救出に漕ぎ寄せ数十万の英仏兵士は命からがら海峡を渡って逃げ延びたのだった。
17世紀、この地帯はフランドルと呼ばれ今はベルギーの一部となった地域と文化を共有していた。 南に広がるブルゴーニュ公国と境を接し、北はネーデルランド、東は神聖ローマ帝国にも近かった。ネーデルランドはハプスブルグ家スペインの領地だった。16世紀ヨーロッパの最強の王カルロス1世(スペインではカルル5世)はハプスブルグ家の皇帝マクシミリアン1世の孫でブルゴーニュのフイリップとカステイリア王女の長男、スペイン王国を継承後、フランス王フランソワ1世との選挙戦に勝って皇帝に選ばれた。
カルロス1世が隠棲した後を継いだ変態的な性格のフェリペ2世の代に、オラニエ公ウイレム1世指導の下に北部7州はユトレヒト同盟を結び、スペインと粘り強く戦いついに独立を達成した。それがオランダで、アムステルダム、ハーグ、そして最近美術展が続き、日本で人気独り占めの感のある画家フェルメールが住んだデルフトなどの町が栄えた。オランダは16・7世紀に貿易で栄えヨーロッパの中心となり、日本は鎖国時代も長崎の出島を通じオランダとだけは交易を続けた。
ネーデルランドでのスペインとの戦争は7年戦争と呼ばれてるけど、その少し前は今のドイツ地方を中心に30年戦争があった。当時ドイツ地方は100以上の領主が乱立し統一国家を形成していなかった。北のプロイセンのフリードリッヒ大王が好戦的でオーストリア・ハプスブルグ家のマリア・テレザ女帝が影響力を及ぼしていたドイツ南部に攻め込んだため戦争が始まった。この戦争はドイツ地方の歴史上最も悲惨な戦争で、プロテスタントとカトリックが争い、プロテスタントにもルター派とカルヴァン派が対立、それにオーストリア、プロイセン、スエーデン、フランス間の勢力争いが重なってとても複雑で悲惨な戦争が30年間続いた。農村は疲弊しジェノサイドもありペストが流行し、それは残酷な殺し合いが続いた。ドイツ地方の人口はこの戦争のため半分に減ったと言われている。
(つづく)
