今日の午前のこと
2通の訃報の案内が私の元へ届いた。
人生長しといえど、1日に2通の訃報を手にすることなど1度あるかないかなのではないか、
そんな風に思いながら、メールで知らされた訃報の相手に想いを馳せていた。


1通目は夫の従姉妹の死で、朝方義理母より教えられた。
生憎私は彼女とは面識がなく、いつも義理母より彼女の話を耳にする程度だったが、それでも彼女が長い間病床だったこと、親族の誰とも顔をあわせたがらなかったこと、数人のお手伝いさんの力なしではベットからも起き上がれなかったことなどを思い出しながら、きっとようやく痛みから解放され、安らかに天に召されたのだという確信のようなものを感じていた。



そして2通目はメールによるものだった。

久しぶりに目にする相手からのメールに、懐かしさがよぎると同時に、
どうしたのかしら?
と思いながらメール内容を読んでいったのだった。

そしてメールを読み終える頃には、涙が頬を伝っていた。




2年前の師走の終わり
私は日本からの素敵なお客様をお迎えしていた。
本当に素敵なご家族だった。

女姉妹3人とそのお母様という女4人旅。
旅の目的はお母様の80歳の傘寿のお祝いをしながら、外地で年越しをすること。

80歳だなんて思えないくらいに若々しくて、そしてなによりもチャーミングだったお母様に私はすぐに好感を抱き、話が弾んでいた。

食事の最中に旦那様の写真立てをさりげなく取り出し、テーブルに上に置いたお母様。
その年に亡くなられたという旦那さまの写真だった。
その年は一人で年越しをしたくないというお母様の想いを、娘3人が汲んでの旅行ともなっていたのだった。



あの日の別れ際のこと
それは今でも忘れられない。
お母様の温かい笑顔が、
日本からの優しさの塊のようにも思えたあの笑顔が、
本当に温かくて、
あまりにも温かすぎて、
別れの挨拶をしながらも、私はその場を去ることが出来ずにいたのだった。

日本にホームシックを感じてしまった瞬間だったのかもしれない。
私は帰途につきながら、一目も気にせずに泣いていた。
後ろを振り返ると、きっと温かい笑顔でずっと私を見送ってくれていたに違いないお母様の大きな存在を感じながら、敢えて後ろは振り向かずにあの場を立ち去っていた私。




頂いたメールには
あのお母様がお亡くなりになったということが書かれていた。
旅行初日、飛行機が遅れてローマに到着してしまっていたために、1日目は私と会えなかったことを悔やんで下さっていたという。
2年の月日を経ても、まだ私のことを話題に出してくれていたお母様。
一生にたった一日の出会いでも、そんな風に心に刻み込んで下さっていただなんて!


感慨無量のひとことに尽きる。

ローマの地より
お母様のご冥福を心よりお祈り致しております。

感謝の気持ちを込めまして。



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