昨日の添加物に関する記事を書いた後、
なんだか腑に落ちない自分がいた。


通常、ブログ記事を投稿した後 ( 投稿前もだが )
私は何度も何度も同じ記事を読み返す。
誤字脱字がないかということももちろんあるのだが、自分の”伝えたいこと”が
紆余曲折なくきちんと正確に表現されているかを確かめるためである。
第三者となって、
冷静に何度も何度も読み返していく。


”紆余曲折なく”
これが意外と難しい。
言葉には、
時に発した本人の気持ち以上の力を持つことがあるため、そこに”紆余曲折”があると大変なことになってしまう。


私は辛口でストレート。
だから時に文章が辛辣となってしまうことも多々ある。
昨日の添加物ブログが正にそうだったかもしれない。
ただし、、、
そこには”きちんとした想い”がある。
”伝えたいこと”があるからである。
辛辣だが、決して悪意は無い。




添加物王国の日本。
これは確かに耳障りのよい言葉ではなかったかもしれない。
でもテクノロジーの発達のある国にはやはりこの問題がつきまとう。
日本も然り、アメリカも然り。
技術の発達が目覚ましい故、
このような”弊害的”事実も発達してしまうのかと。


人間に短所と長所があるように、
国にも同じことがいえる。


昨日私が伝えたかったのは、、、
このような事実を知った上で、食品の選択をして欲しいということだった。
知らないで購入するのと、知っていながらとでは明らかに結果が異なってくる。
せっかく選択の余地がある国にいるのだから、その選択肢の色々な意味を考えながら購入して欲しいということ。
そんなことだった。
少し言葉が足りなかったのかもしれない。





世の中には、
悪意に満ちた文章というのも残念ながら存在している。
特に私は行間までしっかりと読んでしまうタイプなので、悪意がある時にはすぐにそれを感じ取ってしまう。
言葉は発した本人以上に、時に凶器ともなり得るから。


そしてその逆も然り。
言葉は何事にも代え難い癒しともなる。
他人の口から発せられる言葉だけではどうにもならない程にこころが曇ってしまった時。
そんな時にこころに新たな息吹をくれるのは、
本の中のたった一行だったりもする。
その一行が欲しくて、本を読みあさっていた私だ。


やはり文章は美しければ美しい程にその輝きが露となっていく。
そして文章にはその人の”成り”がしっかりと現われる。
美しい輝きのある文章を紡いでいきたい、
改めてそう思った15日の朝だった。


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