乗務員時代に何気なく使用していた言葉で、実はとても気になっていたものがある。


機内ではボーディングが始まると、搭乗御礼の挨拶と共にお客様を客室内にお迎えする。
”ご搭乗ありがとうございます”
という言葉が主になるのであろう。

そして降機時。

搭乗のお礼と共に良く使われていたのが、
”お疲れさまでした”
という労いの言葉である。

私個人では、”お疲れさまでした”という言葉掛けをお客様に対して使うのは好まなかったのだが、多くの乗務員が”お疲れさまでございました”などと口にしていた。
実際には、お客様に対して使ってはいけない労いの言葉は ”御苦労さまでした”であって、”お疲れさまでした”ではない。
でも当時の私には、なんだか躊躇してしまう言葉だったのである。
”お疲れさま”より素直に”ありがとう”のほうがすんなりときていた。


この労いの言葉であるが、イタリアに来てある日ふと疑問に思う。
イタリアではなんというのだろう、と。
そしてイタリアに限らず、欧米社会にはこの”お疲れさまでした”に相当する言葉が存在しないことに気がついたのである。

労いの言葉は日本独自のもの。
無言の空間を苦手とする日本人が、会釈やこの労いの言葉を生み出したようである。
そしてその根底には、相手を想うという”おもいやり”の心がある。




故河合隼男氏の著書、『ユング心理学と仏教』の中に以下のような記載がある。


パーティーでスピーチをした際に、
私はアメリカ人と日本人のスタイルの基本的な差について話しをしました。
アメリカ人はそのスピーチをジョークで始めるのに対して、
日本人は弁解で始めます。

日本で人々が何かのことで集まってくると、彼らはある種の一体感を共有します。
したがって誰かがスピーカーになると、
その人は他の人々から区別されることについて弁解しなくてはなりません。

しかし、西洋ではたとい一同に会したとしても、
それぞれが他とは異なる個人であります。
したがって、典型的なアメリカ人のスピーカーは何かのジョークを言って、
人々が笑いを共有することによって一体感が感じられるようにするのです。




そういえば、日本人のスピーチは、
「僭越ですが、、、」
「只今ご紹介に預かりました、、、」
などという弁解から始まっていることが多いと改めて気がつく。

一方で、
こちらに住んでいると、機知に富んだユーモアとあちらこちらで出くわす。
さりげない場に、さりげなくおかれているユーモア。
公の場でもさらりと登場するユーモア。
日本人にはなかなか持ち合わせることが難しいことも手伝い、出くわす度に心の中で大きな拍手を送ってしまう私である。

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