ポタン ポタン ポタン

 

細い管の中を、

音も立てずに静かに滴り落ちていく

そんな液体の固まりの成す様を

私は見るともなく眺めていた。

 

目を覚ましたとき

初めて視界に入ってきたものだ。

 

ポタン ポタン ポタン

 

そんな音が聞こえてきそうな程に

ゆっくりと、規則正しく

液体の固まりは滴り落ちる。

 

何時だろう?

 

そう思いながら

時計のある方向へと

頭を動かしてみる。

と、同時に

ひどい激痛と吐き気が突如私を襲ってきた。

 

動いたら駄目だよ。

 

隣から夫の声がする。

どうやら夫だけではない。

私の周囲には

沢山の人がいる様子。

頭は動かさずに

視線だけで

部屋の中を追っていく。


まずは義理姉が視界に入ってきた。

笑顔を浮かべてはいるものの

不安を隠せずにいるのがよく解る。


それから義理兄、義理母、義理父、、、

友人夫婦の顔も

ぼんやりと視界に入ってくる。

 

今、何時なの?

 

頭は動かさずに

私は夫に尋ねてみる。

 

午後2時だよ。


私はいつここに戻ってきていたの?

 

30分くらい前かな。

 


今が午後2時。

私がオペ室に連れて行かれたのが

朝の7時ちょっと前だった。

ということは、

6時間近くも

私はオペ室にいたことになる。

  

次はひどい吐き気と共に

恐ろしい悪寒が襲ってきた。

 

さ、寒い。

 

毛布はもう既に2、3枚はかけてくれているようだが、悪寒による震えが止まらない。

  

ちょうどその時

主治医がやって来た。

主治医が診察にくる時

患者以外は皆

外に出て行かなくてはいけない。


皆が外に退出し

主治医と一言、二言話した後

私は再び深い眠りへと落ちていった。

 

 

 

ちょうど4年前の秋。

私は命がけの手術をした。

日本に一時帰国中、

何気なく行った乳がん検診で

1cmにも満たない小さな腫瘍が見つかったのだ。


マンモグラフィにも写らなかったほどに

小さかったその腫瘍。 


担当してくれた乳腺外来の先生は

当初私にこう言った。

 

まだ小さいですし、様子を見てみましょう。

半年後にまたいらして下さい。

 

ところが私は

翌朝にイタリアに帰国する事になっていた。

 

先生に半年後には来れない事を告げる。

 

では、念のため細胞診をしておきましょうか?

 

細胞診の結果を、

後日郵送してもらうということで

私はイタリアに戻ってきていたのだった。

 

 

 

すぐにイタリアの病院にかかって欲しい。

 

細胞診をしてくれた日本の先生より

連絡があったのは、

私がイタリアに戻ってきてから

10日ほど経った頃だった。

 

僕も一瞬目を疑ったのだけれど、

とても残念な結果となってしまいました。

 

その結果は

私の中の腫瘍が

悪性であることを告げていた。


”あんなに小さいのに”

 

出来れば

日本の病院にかかりたいのですが、、、

 

唯一私の口から出たのは

この言葉だった。


しかし

先生からは、

 

時間的余裕がないこと、

そして手術をしたら終わりではないこと、

いろいろなケアが必要になってくること、

術後5年くらいの定期検診や治療がきっと必要になるだろうこと、

 

それらの理由により、

地元の病院にかかることを勧められた。

 

娘はまだ3歳なのに•••

私はどうなってしまうの?

 

ただただ呆然と

立ち尽くしていた。


私がこの事実により

大泣きしたのは、

この日から

1週間程経った頃。


それまでは、

まだその事実すら

受け入れられずにいた。(続)



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