”結婚するならイタリア人” 

 

いつしかそう思い込むようになっていた。

”イタリア人”から”ローマ人”に変わったのはいつの頃だったか。

お見合い結婚をした母が、手相や血液型などありとあらゆる占星術を参考に結婚に踏み切ったのと同様に、私は自分の”思い込み”を頼りに人生を繰り広げる。

 

 

3月はいつも鬼門だった。

嫌なことばかりが続いた。

体調を崩したのもいつも3月だった。

自然、このひと月をこもって過ごすようになる。

春を待ちわびつつ、雪の下で只ひたすら雪解けを待ち続けるフキノトウのように。

奇麗な黄緑色が私たちの目を楽しませてくれるのは、雪解けも過ぎ、更には解けた水によって泥まみれと化した土がようやく乾き出す、4月も半ばの頃だ。

私も同様だった。

ようやく自分が本来のあるべき姿を取り戻したかのように、卯月半ばより少しづつ機能し始める。

 

10代の頃は、もちろんそんなことは全く理解出来ずにただただもがいていた。

もがけばもがく程に深みにハマってしまうということを、当時の私はまだ知り得もしなかった。

何をしても駄目なときは、実はその流れに身を委ねるしかないのだけれど、そんなことは客室乗務員時代、20代後半にもなってようやく体得したこと。

 

『ローマ人の英雄、ジュリアス•シーザーが殺されたのが3月15日でしょ?

だからね、ローマ人にとって3月は喪に服す月なの。』

 

ある日、イタリア人の友人が教えてくれた。

この友人の言葉が、どんなに私を救ってくれたことだろう。

 

物事のひとつひとつに理由付けがなされると、それらはもう不安要素ではなくなる。

例えそれが、どんなに取るに足りない事柄であったとしても。

 

すべての起こり得る事柄には、それなりの理由がある。

 

そしてその理由が見つけられないと、物事の見極めが難しくなったりもする。

時として、待つ時間が必要なだけということもあるが、待っている時間にも待たなくてはいけない理由というものがあり、

それらは大抵、忘れかけた頃を見計らってその謎解きをしてくれたりするのが常だ。

 

思い込み。


私の人生の主要な構成要素のひとつでもある。



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