普段は車メインの生活をしている私たち。
そのせいか日本に来ると歩く機会が多くなる。
都内は特に顕著で、地下鉄を乗るのにも階段の昇降と随所に階段が待ち構えている雰囲気である。
久しぶりに街中に買い物に行くと、それはそれはよく歩く。
歩くのが大好きな娘ではあるが、やはり山の中の一軒家から出てきているせいか、はたまたあの人込みをかき分けて歩くということに慣れないせいか、精神的にどっと疲れが押し寄せるようだ。
 
先日のこと。
日本帰国直後であれこれ珍しく、あちこち歩き回ってしまっていた。
足の裏にイボが出来て痛がっていた娘。
新宿からの帰途は、やや通勤ラッシュ時間帯にもかかりつつあり、生憎電車は込み合っていて座ることが出来ない様子だった。
 
”ママ、足が痛いから座りたい”
 
娘はもともと声が大きく、響くような声質でもあるため、目の前に座っていた若者たちにも聞こえてしまったかのよう。
実際に目の前の若者2人と目が合ってしまった。
、、、が、それもごく数秒のこと。
何事もなかったかのように、その若者たちは目を閉じて頭を落としてしまった。
 
ここがもしイタリアだったら、、、
子供や高齢者の存在を目にしただけで、すぐに席を譲ってくれていたはずだ。
 
”あら、可愛いわね。今いくつなの?”
 
と他愛もない会話も始まる。
そしてそれは電車を降りるまで続いたことだろう。
 
パン屋さんでも然り。
お腹を空かせて待っている子供には、突如
 
”これ、食べて”
 
とフォカッチャを一切れ差し出してくれたりする。
 
子供は神の子、そんな風にでも思っているかのようだ。
バギーを持っての移動時など、当たり前のように皆が手を差し伸べてくれていた。
 
 
”神は弱き者を選び、弱き者を助ける”
 
これはキリストの教えだが、実際にイタリアではこの精神が人々の間に無意識に根付いているような気がする。
 
お役所などにいくと、その仕事ぶりの悪さが覿面に現れ、日々行列をなしている国、イタリア。
日本ではものの数十分で終えているであろう作業が2.3時間はかかってしまうその効率の悪さが、そしてそんな中でも隣の係員とお喋りをしてしまうという仕事へのプライドのなさが、街の至る所で繰り広げられる。
イタリアに来てから、郵便局はもっとも敬遠する場となってしまったのは言うまでもない。
 
そんなお国だが、子供には無条件に優しいのだ。
やはりのびのびと育っている、そう実感する。
日本の子供たちがイタリアの子供より知能的に優れているのは、彼らの勉強時間や塾生活だけを見ても明らかである。
(ここでは小学生について言及)
もし生活環境をイタリアか日本という選択肢で選べるとしたら、、、
それでも私はやはりイタリアを選ぶと思う。
(しつこいようだか小学のみについて)
たくさんの遊ぶ時間を与えられ、情操教育の豊かなイタリアを。
 
そういえば、イタリアの子供たちはこれでもかというほどに褒められて育つ。
些細なことで大きな言葉のご褒美を貰い、大きなハグやキスを貰う。
 
大袈裟過ぎない?

日本人の私にはこんな風に思えることも多々なのだが、これが子供たちの原動力となっていることは言うまでもない。
 
そして日本の子供たちとの違いはといえば、、、
大きな笑顔である。
見知らぬ人にさえ微笑む子供たち。
陽の光をいっぱいに浴びて育っている向日葵のようでさえある。
 
我が家の向日葵ちゃん。
今頃日本の学校では何を学んでいるのだろう?
イタリアでは教えて貰えないような礼儀作法やしつけなど、どんどん体得して来てほしいと願う私である。


 
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