義理母が今日から入院となった。
運悪く義理父も今日は腫瘍内科での精密検査となり、いくら同じ病院内とはいえバタバタの一日となった。
そして、我が娘は8日までイースター休暇ときている。
年が明けてからというもの、ヴェファーナまでのクリスマス休暇〜スキー休暇、そしてこの度のイースター休暇と恐れ知らずの休暇続き。
親は(私は)大変である。笑
話を義理の両親に戻すが、やはり80を過ぎてから一段と老いを感じるようになった気がする。
つい数年前までは、二人とも元気いっぱいだったのに。
年をとるとはこういうこと、と改めて実感させられている。
- 時々ね、心臓内で爆発音のような大きな衝撃を感じるのよ。でも誰にもわかってもらえないの。
そんなことを常日頃から口にしていた義理母だった。
その衝撃の頻度が頻繁となり、先日は救急で運ばれた。
心臓の弁のひとつがうまく作用していない、そんなことがようやくわかったのが先日の入院時だった。
今までは、、、
病院側でも、発作が起こった状態で検査してみないと理由がわからないなどという、日本ではあり得ないような見解だったのだ。
それが偶然にも、先日の入院中に起こった発作により原因が明らかとなった。
今回はピースメーカーを着用するための入院となる。
こうして私たちの国内旅行はあっさりとキャンセルとなった。
そもそもパリに行く予定が国内旅行となり、、、
義理姉たちが優雅にメキシコに行っている間、隣に住んでいる義理父は10日以上も38度超えの熱を出していた。
そのため外食予定だったパスクエッタも我が家でランチをした。
明日以降も義理父は我が家でご飯をすることとなっていくのだろう。
夫には本音をはける義理父も義理姉たちには無理なのだ。
やはり彼女たちの前では、いつまでも父親として威厳を保ちたいのだろう。
幸い子供が生まれる前までは常にランチを共にし、私は義理母の味を覚えてしまっているため、料理や味付けに困ることない。
味覚も義理母とはとても似ていた。
今は、、、
義理母は気がつくと数分前に入れた塩を忘れ、というのを繰り返すため、食べれた料理ではなくなりつつある。
オーブンに入れたものも忘れ、気がついたら焦がすということも多々。
あんなに料理上手だったのに。
お手伝いさんが義理母をフォローする。
私が夫と出逢ったのは、義理母の存在が大きい。
義理の両親家族と友人だった会社の先輩の叔母さまの計らいでランチをご一緒した。
隣の席にいた義理母とはすぐに意気投合し、話が盛り上がった。
義理母も私のことをすぐに気にいってくれていたという。
そして数日後に義理母宅に招待され、私は夫を紹介された。
当初、夫とよりも義理母との結びつきが強かった私。
いわゆる巷でいわれるところの”嫁 VS 姑”とは無縁であった。
➡️理由については
義理母と私
https://s.ameblo.jp/tsugumi-hiraga/entry-12317933319.html
もちろん時に”バットゥータ”と呼ばれる、冗談交えつつの論争もしていたけれど。
今はもう”バットゥータ”も出来ない。
驚く程に彼女に弱さを感じてしまう。
実際に一回りも小さくなった。
老いるということを、私は目の前で学んでいる。
いつかは自分も通る道と思いながら、、、
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➡️義理母と私、そしてその後
https://s.ameblo.jp/tsugumi-hiraga/entry-12349689292.html