サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂  ( 通称、ドウオーモ ) を背に、カメラ片手に写真撮影に余念のない観光客でいっぱいのポンテ・ヴェッキオ ( ヴェッキオ橋 )を通り抜け、ピッティ宮殿を左手に見ながら7,8分歩くとローマ門に辿り着く。
街中とは打って変わっての静けさだ。

Viale del poggio imperiale

私のフィレンツェ、一人暮らし生活がスタートした地だ。
直訳すると、皇帝の小高い丘通り。

4、5段程の階段を登ると小さな格子門があり、すぐ目の前に広いテラスが広がる。
その先にある一軒家は、中を二世帯住宅に造り直していたため、階段を登り右手ドアが私の住んでいた家、左手のドア奥がルチアと呼ばれる70過ぎのおばあさんが一人暮らしをしていた家だった。

私の部屋は、入ってすぐがサロン、隣の部屋がキッチン、そして突き当たりに寝室、バスタブ付きトイレ、物置が横に並んでいた。
小さかったがとても機能性が良く、そして何よりも窓からの眺めが素晴らしかった。
斜向かいのお城のような豪華なお宅の糸杉が、"トスカーナにいる"ということ日々実感させてくれた。

自宅から徒歩1分のローマ門で開かれる朝市では、お花を欠かさずに買っていた。
朝起きて、新鮮な空気と共に花束を抱える幸せ。

ルチアは大きな犬と一緒に暮らしていた。
名前はニコール。
仲良くなった私たちは必然、一緒に食事をするようになる。
一人分作るのも、二人分作るのも手間は一緒だ。
だったら話し相手がいたほうがいい。
とはいえ、最初の数ヶ月は言葉の壁に泣いた。

日本で語学学校に行ったり、NHKのテレビやラジオ講座( 毎年いつも同じレベルで向上なし。涙 ) で勉強していたつもりだったが、全然駄目だった。
ルチアの話していることがさっぱり分からない!!
ルチアは政治関係に興味があり、いつもその手のテレビ番組を見ていたのだが、これまた雑音にしか聞こえない。
( 今思えば、せめて民間のもっと違うジャンルであったなら、"少しは"マシだったのかもしれない。)

少しでもルチアとの会話が理解出来るようにと、一生懸命に勉強した。
午前中はイタリア語のレッスンを3時間、午後はプライベートでトスカーナ料理を教えてもらっていた。
ルチアとの夕食の後は只々勉強した。私の部屋にはテレビすらなかったから、なにも考えずに勉強することで、寂しさを紛らわしていた。

30の誕生日もルチアと一緒にお祝いをした。

全てのことが新しく、人生をリセットするには最高の場だった。( 続 )

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