大好きな街、フィレンツェ。
歴史的建造物の美しさも去ることながら、それ以上に私のこころに強い結びつきを作ってしまった、まさに第二の故郷とも呼べる地となっているのは、15年前の出来事に由来する。
 
そもそも15年前の”その出来事”の前に、、
 
学生時代、私には長くお付き合いをしていた彼がいた。約5年半程一緒に過ごしたが、私が航空会社に入社し、厳しくも辛い訓練が終わるかどうかという過酷な時期に、いきなり”三下り半”をつきつけられた。
”私には普通のOLになって欲しかった” とまで言っていた。
( あなたの言うところの”普通”って?? )
誰からも好かれる好青年であった元彼Mとの別れは、その後の私の20代の人生にかなりの影を落としていく。
 
あれは忘れもしない30を目前に控えた29歳の時。
出会いに事欠かない会社ではあったものの、やはり私のこころの奥底にはいつもMの存在があり、それを拭い去れないままの悶々とした日々に終止符を打つべく、私は彼の実家に電話をした。
当時はまだ携帯などなかったから、唯一の連絡手段が実家への電話であった。
電話番号も指が覚えていた。
幸いMの母親と私はとても仲が良く、Mがニュージーランドへ短期留学した時など、2人で一緒に成田へ見送りに行ったりもしていた。(懐)
 
『 もしもし 』
と電話口に出たMの母。
私が言葉を発する前に、既にもうMの母の声は涙声に変わっていた。
息子が私たちの別れの詳細などもちろん母に語るはずもなく、Mの母は只々私がMの事をふったのだと思いこんでいたらしい。
 
そして、、、
 
『 実は今Mは新婚旅行に行っているのよ。しかも家族皆んなで、、、ところが出発の直前に私の母がなくなり、だから私だけ残ることにしたの。でもこうしてあなたと話をするためのご縁でもあったのね、きっと。』
 
Mの祖母の事はもちろん私も知っていた。
そしてその祖母が息をひきとる前に、なぜかふと私の事を口にしたのだという。
 
だからMの母も、かなりの長い年月が経っていたにもかかわらず、ごく自然に電話口に出たのだ。
なんだか私から電話がくるような気がしていた、そうも言っていた。
 
それにしても、別れてから8年後に勇気を振り絞って電話をした正にその時に、その当の相手はといえば、人生で一番幸福な出来事ともいえる新婚旅行の真っ只中だったなんて。
 
この電話を切ってから、あらゆる絶望感と共に、私の居場所はもう日本にはないと判断する。( 当時の私は、かなりの恋愛至上主義者だった。)
というより、日本に居れる自分というものが想像出来なかった。
そして国外脱出を図ったのである。
行き先はフィレンツェ。 ( 続 )
 
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