父親が亡くなりました | 通好みの備忘録(もろもろのことを記録として綴っています)

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突然の閉鎖
それでこちらに引っ越してきました
自分の興味があることをもろもろと備忘録としてつづっていきます

父親が亡くなりました
 
先月の3月14日になるのですが、父親が亡くなりました
83歳でした
誕生日が3月27日だったので、あと少しで84歳でした
老衰です
ブログ どうしようかなぁ~ と思ったのですが・・・・
忘れてしまいそうなので記録として残すことにしました
こういうのはごくごく近い身内だと、祖父、祖母に続いて三人目です
(伯父(叔父)はいますが・・・・)
祖父が亡くなったのは昭和44年4月2日 ぼくが小学一年生になる年でした
祖父は67歳 あと一か月と少しで68歳になるときでした
このときのことははっきりと覚えているんですよ
初めての経験だったからか、まだ6歳だったからか
まだ6歳だったからか、人が亡くなるってどういうことかよくわかっていませんでした
自分は孫としては6番目ですが、はじめての内孫だったのでとてもかわいがってもらっていました
いつも一緒に犬を連れて散歩に行っていました
でも亡くなった顔を見ても実感がわかずお葬式はお祭りのようでした
親戚中がたくさん集まって、たのしく遊んだことを覚えています
祖母が亡くなったのは、25年くらい前の7月だったような・・・・
記憶があいまいなんですよ
7月だったような・・・・
そのときが89歳だったのは覚えているのですが・・・・
今回もそうなりそうだったので記録に残すことにしました
うちの父親は13年半前に脳梗塞になりまして、半身が不自由になり、それから年をおうごとに弱っていきました
糖尿病だったのです
糖尿病だと脳梗塞になりやすいんですよね
あとで知ったのですが「第一種糖尿病」でした
遺伝や生活習慣が関係するのは「第二種糖尿病」でして、「第一種糖尿病」は原因がまだわからないそうです
昨年の11月ですが、腰を抜かして起き上がれなくなり入院しました
脱水症状を起こしたためだそうです
入院した当初はまだ元気でしたが・・・・
12月に、タンがのどにからんで・・・・
窒息しかけて・・・・
一気に弱りました
誤飲性肺炎です
この年齢だと多いようです
先生から次に肺炎を起こしたら危ないとは言われていました
入院してから2回ほど、病院に行きました
初めに行った11月の時はまだ元気でしたが、次に行った2月のときはかなり弱っていました
口をパクパクさせているから何かを言いたいのでしょうが・・・・
まったく聞こえませんでした
このころから体力がなくなって、体はほとんど動きませんでした
ただ・・・
幸か不幸か
頭はまったくぼけませんでした
だから、自分の体がどんどんよわっていくのが最後までわかっていたのでしょうね
本人にはちょっとボケたほうが幸せだったかもしれません

だから、葬儀の時、みんなさっぱりした表情でした
具合が悪くなってから長いし、もう亡くなることはもう頭に入っていましたから
弟が同居してくれているのですが、このままの状態が続いたら、母親や弟の負担が大きくなってしまう
という気持ちがありましたから
ちょうどよかったのでしょうね