プロ野球・巨人、ロッテで活躍した山本功児さんが23日、肝臓がんのため64歳で亡くなった。「『世界の王』の脇役」を務めた経験を生かし、ロッテ監督など指導者として後進の育成に尽力した。
 山本さんは法大から社会人野球の本田技研鈴鹿に進み、補強選手で都市対抗野球に2度出場。1975年のドラフトでは下位の5位で巨人に指名された。巨人では本来の守備位置・一塁に王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)がおり、外野手でも出場機会を求めた。王さんの引退する80年にかけて勝負強い打撃で存在感をアピール。王さんは「巨人で長嶋監督時代に一緒にプレーしたが、羨ましいほどに守備がうまく巧打者でした。まだお若かったのに残念」と惜しんだ。
 移籍したロッテでは打率3割もマークし、88年の引退後はロッテの打撃コーチ、2軍監督として福浦、サブローら多くの主力選手を育てた。その指導力と人望を見込まれ、99年から1軍監督を5季務めた。「山本監督」に抑え役を任され通算228セーブを挙げた、ロッテの小林雅英投手コーチは「功児さんのおかげで、僕は今の立場にいられる。勝ってハイタッチする時に優しい顔をしてくれた」と思いをはせ、2001年にパ・リーグ首位打者になった福浦は「野球人生の最後まで見届けてほしかった」、サブローは「全ての事を教えてくれた父親みたいな存在の人」とコメントした。
 近年は北九州市に住んだ。息子でDeNAの育成新人選手の山本武白志(むさし、18歳)が九州国際大付高進学後、体重を20キロ減らしたため、妻と横浜市から同校のある北九州市に移った。両親がそばに来て、体調を回復した山本は昨夏の甲子園で3本塁打を放つ活躍。取材に応じた妻の美砂子さん(54)は「プロになってほしいと息子のために自分の病気を押しながら頑張っていた。息子には自分の力で、はい上がれと言っていた」と話した。【平本泰章、神保忠弘】


山本功児さんとなると一番の思い出は、やっぱり、ロッテの監督ですね
うちの奥さんを連れて試合を見に行くようになったときの監督が山本功児さんでした
だからとても印象に残っています
でも・・・・
がんばっても、4位でしたね・・・・
でも・・・・
表情からも「熱い」そして「温かい」気持ちが伝わってきて、好きでした

選手としては、巨人時代はかわいそうだと思っていました
だって、王さんの控えですよ
出られるわけないですよね~
ロッテに移籍した時にはよかったと思いました
気分一新にもなりますし
その前に、巨人では一軍の壁をなかなか破れなかった庄司がロッテでは活躍したので、山本功児もと思いました
そして、そのとおり、ロッテでは選手としても活躍しました

息子さんが甲子園で活躍しましたね
ドラフトでは前評判は高かったのですが育成でした
でも、プロです
ほっとしたかもしれないですね
ここまで見させてあげることができてよかったと思います