阿蘭陀通詞加福家墓地 長崎市指定史跡 平成12年4月28日指定
加福家は代々阿蘭陀通詞を継承した家柄である。
始祖吉左衛門は初めポルトガル語の通訳として勤めていたが、
ポルトガル人の国外退去に伴った阿蘭陀通詞へと移行した。寛文4年(1664)小通詞となり、
その後寛文8年(1668)には、大通詞に就任している。
阿蘭陀通詞の大役である江戸番通詞も勤めたが、元禄2年(1689)江戸参府の際、72歳で没している。
加福家は、吉左衛門を含め、明治維新に至るまで9代にわたって阿蘭陀通詞を勤めている。
吉左衛門の他に3代喜七朗、4代喜蔵、5代安次郎及び6代新右衛門がそれぞれ年番大通詞に
就任している。墓地内には、大小併せて29基の墓碑があるが、
中には寛文年間の墓碑もほぼ原型のままで残っていることもあり、大変貴重であるといえる。
長崎市教育委員会(平成12年設置)説明板より引用
唐通事林・官梅家墓地
福建省福州府福清県の人の林公琰(りんこうえん)が日本に渡来し、
大村藩の森氏の娘と結婚し生ま れたのが林道栄(りんどうえい)で有名な大通事となった。
学問が深く、詩文に長じ、書を能くし、語学も抜群であった。
その子三郎兵衛が早く死んだので、孫の勝五郎の後見として官梅三十郎(かんばいさんじゅうろう)を
つけた。
官梅三十郎は平井仁右衛門の子で三郎兵衛の娘婿である。
三郎兵衛の子が林家を継ぎ、三十郎の子孫が官梅家となった。
この両家の墓がここに左右に並んでいる。
林家が一時鹿児島に行き断絶したようになったのを游龍彦十郎(ゆりゅうひこじゅうろう)が
林道三郎を立てて林の本家を継がせようとしたときはもう幕末が迫っていた。




