父の部屋には、紙ゴミが多い。


対して、母の持ち物は布系のゴミが多い。

そう思っていたのですが。


紙系のゴミもわんさかありました。


本人(入院中)は「ゴミじゃない」と言うのだろうけど。

そう言いそうだからこそ、なるべく残そう残そうとしてきたけれど。


他のものを色々処分していたら、捨てていいだろうと思えてきて、片付けが捗ってきました。


元気な時に片付けられなかったものが、退院してどんなに回復したところで、片付けられるわけがない。


五年前、十年前に片づけられなかったものが、これから片づけられるわけがない。

自分で片づけられるなら、とっくにやってるはずです。


これは、わたしの母に限ったことではありません。


わたしたちだって、今片づけられないものを「そのうちやろう」と放置したところで、一年後、五年後、十年後に片づけられるわけではないんですよ。


一年後。

五年後。

十年後。


確実に、体力も判断力も落ちて、片づける効率はわるくなっています。

そして、その数年の間に、片づけなくてはいけないものたちが、どんどん増えていくんです。


雪だるま式に増えていきます。

ガラクタは、ガラクタを呼ぶのです。


大掛かりな片づけをするなら、今。

そして、その後は定期的に小さな片づけを続ける。


老後に苦労しないためには、それしかないんですよ。

片づけを先送りすると、絶対に苦労します。

自分が苦労しなくても、残された人が間違いなく苦労します。


そして、残された人、片づけをしてくれる人というのは誰でしょう?


あなたの愛する家族ですよね。


愛する家族に苦労をかけないためには、物を少なく、整理整頓するのがいいと思うんですよ。


物が多くてもいいんですよ。

管理できるなら。

処分のことも考えて手を打っているなら。


でも、自分が死んだ後の持ち物の処分について生前に準備できる人なんていないですよね。


やっぱり、生きてるうちに自分で何とかしないとね。