生殖・周産期医療に関係する生命倫理を考えるに際しての日本産科婦人科学会の基本姿勢 一部改変

 

2022 年 3 月5日

日本産科婦人科学会

理事長 木村 正

倫理委員会委員長 三上幹男

同副委員長 鈴木 直

 

202203_rinri_kihon.pdf (jsog.or.jp)

202203_rinri_public_comment.pdf (jsog.or.jp)

はじめに

 

 私たち産婦人科医が提供する生殖・周産期医療の目指すものは、母と子の安全を支援し、子の誕生を成し遂げ、生まれてきた子供を安寧に育む社会の実現です。これまで日本産科婦人科学会では生殖・周産期医療に関係する生命倫理についての多くの問題を議論し、会員の守るべき約束を見解として社会に示してきましたが、今後、新たなテクノロジーの導入によりさらに多くの議論が必要になってくることが予想されます。そこで今回、ここに示す「生殖・周産期医療に関係する生命倫理を考えるに際しての日本産科婦人科学会の基本姿勢」には、その議論を行うに際して、本会会員が常に念頭に置くべき事項を示します。この基本姿勢については、 倫理委員会で素案を作成、本会会員、会員以外の方よりのパブリックコメントを受けて一部修正を加え、さらにそのパブリックコメントを添付したうえで、理事会で審議のうえ承認を得て、ここに公表します。

守るべき事項(下記の事項は順番に関係なく同等に重要と考えます)

 

・Reproductive Health/Rights を守る。

・生まれてくる子の福祉を守る。

・人間の尊厳を守る。

・優生思想を排除する。

・安全性に十分配慮する(検査や技術の正確性・妥当性・安全性を科学的根拠に基づき正確に評価する姿勢)。

・商業主義を排除する。

・多様な立場からの意⾒に⽿を傾ける。

⽣殖・周産期医療に関係する⽣命倫理を考えるに際しての⽇本産科婦⼈科学会の基本姿勢

 

上記の守るべき事項、基本となる社会的ルール・理念・考え方、我が国の状況(下記参考資料参照)など、を念頭に置いて、生殖技術や生命科学、生命倫理について、専門家をはじめ、より多くの人々の間でオープンに公開して議論してまいります。

丁寧な説明、議論を重ねて社会としての方向性を見据えてまいります。

異なる考えを一つにまとめることは出来ないかもしれません。しかし、お互いの意見をよく聞きながら、ある程度相互に理解しあい、お互いに敬意を払う状態にまでは到達できるのではないか?と、考えます。つまり、「他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重しあえる寛容な社会が築かれること」を願います。会員誰もが、この考えを念頭に置き、答えの出ない事態に耐える力(Negative capability)を備え、反対意見も考慮した決定事項の尊重と実施 (Disagree and commit)の姿勢で、医師としてすべての国民が健康な生活を送れるように考えてまいります。

何事も、一定のルール・枠組みの中で、丁寧な説明によるご本人の正しい医学的理解のもとで、ご本人の意思に基づいて実施してまいります。

医師として、検査や技術の正確性・妥当性を正確に評価する姿勢を保ち続けます。

上記のような基本姿勢のもとで、社会に対して常に生殖・周産期医療は障碍の有無に関係なく子供を育む社会の実現を目指していることを説明していきます。

本会会員に対して生命倫理に関しての教育を行っていくと同時に、医師としての知識・技術・対患者対応などについて生涯にわたり教育を継続してまいります。

参考資料
生殖・周産期医療に関係する生命倫理に関わる我が国の状況

 

共生社会を目指すノーマライゼーションの理念に関して、我が国では総論賛成ではあるもののその歩みは非常に遅く、教育の遅れなどもあり社会における特定分野の知識(Literacy)が不十分であるという現実があります。そのような中、ある意味で懸念をもたれる新たな検査が導入されてきているのも事実です。

我が国の生殖技術に対する議論、討論は、他国と比べて、積み重ねが薄い。生殖・周産期医療についての考え方を公に論ずることは、人々の倫理観や道徳観、長い歴史から培われてきた家族観、婚姻制度のあり方などから、封じ込まれてきた感すらある。(生命倫理―生殖補助医療の発展(著者 松井志菜子)より抜粋)

基本となる社会的ルール・理念・考え方など

 

医師とは

医師法

医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。

解釈:医師は目の前の患者の健康増進を考慮するだけでなく、公衆衛生(集団の健康の分析に基づく地域全体の健康への脅威を扱う)の向上を目指し、つまり集団としての疾患患者の健康増進も考慮すべきと考えられます。さらに医学・医療技術の進歩を丁寧に説明し、

議論を重ね社会に貢献していくことが必要です。

公益社団法人 日本産科婦人科学会定款 第2章 目的及び事業

目的 第3条 この法人は、産科学及び婦人科学の進歩・発展を図りもって人類・社会の福祉に貢献することを目的とする。

日本医師会 医の倫理綱領

医の倫理綱領

 医学および医療は、病める人の治療はもとより、人びとの健康の維持もしくは増進を図るもので、医師は責任の重大性を認識し、人類愛を基にすべての人に奉仕するものである。

1.医師は生涯学習の精神を保ち、つねに医学の知識と技術の習得に努めるとともに、その進歩・発展に尽くす。

2.医師はこの職業の尊厳と責任を自覚し、教養を深め、人格を高めるように心掛ける。

3.医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、やさしい心で接するとともに、医療内容についてよく説明し、信頼を得るように努める。

4.医師は互いに尊敬し、医療関係者と協力して医療に尽くす。

5.医師は医療の公共性を重んじ、医療を通じて社会の発展に尽くすとともに、法規範の遵守および法秩序の形成に努める。

6.医師は医業にあたって営利を目的としない。

医師の職業倫理指針(平成28年10月 第3版)https://www.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20161012_2.pdf

・幸福追求権・自己決定権

 

日本国憲法

第十三条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政のうえで、最大の尊重を必要とする。

解釈:公共の福祉とは、個人の個別的利益に対して、多数の個々の利益が調和したところに成立する全体の利益をさす、と解釈されています。公共の福祉、個人の人権を考慮し、その上で幸福追求権は初めて尊重されるものと考えられます。

・セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス(SRH)/セクシュアル・リプロダクティブ・ライツ(SRR)

 

SRH:性や子どもを産むことに関わるすべてにおいて、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態、

SRR:自分の意思が尊重され、自分の身体に関することを自分自身で決められる権利。エジプトカイロで開催された国際人口開発会議(ICPD/カイロ会議、1994)にて提唱。

解釈:産婦人科医は SRH、SRR を守るという立場にもあるべきです。

・健康とは

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、身体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう(Health is a state of complete physical, mental and social wellbeing and not merely the absence of disease or infirmity.)」 (WHO 憲章前文)

解釈:健康とは、社会的健康、精神的健康、身体的健康が、個人の考え方のうえで満たされている状態であり、それが実現されるべく、相互信頼の社会、生活しやすい街、経済基盤を実現していくべきと考えられます。

・母体保護法

 

 我が国では、母体保護法上、胎児が疾患や障碍を有していることは、人工妊娠中絶を認める条項として記されていません。

解釈:妊婦の身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある場合には、人工妊娠中絶の実施が可能です。胎児が疾患や障碍を有していることにより、母体保護法が規定する身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある場合等に該当するものとして人工妊娠中絶を選択されていることも実情です。(NIPT 等の出生前検査に関する専門委員会報告書 令和3(2021)年 5 月 https://www.mhlw.go.jp/content/000783387.pdf より抜粋改変)

ノーマライゼーションの理念

 

 障害者基本法においては、すべての国民が、障碍の有無に関わらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、すべての国民が、障碍の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重しあいながら共生する社会の実現を目指すことが掲げられている。(NIPT 等の出生前検査に関する専門委員会報告書 令和3(2021)年 5 月 https://www.mhlw.go.jp/content/000783387.pdf より抜粋)

解釈:受精胚の選別、あるいは胎児が疾患や障碍を有していることで人工妊娠中絶を行うことは、疾患やそれに伴う障碍のある胎児の出生を排除することになり、ひいては障碍のある者の生きる権利や生命、尊厳を尊重すべきとするノーマライゼーションの理念に反するとの懸念をもつ方がいることを理解する必要があります。生殖医療は疾患やそれに伴う障碍のある胎児の出生を排除することを目的に行われるものでないことを社会に説明していく必要があります。同時に障碍を多様性として考え理解していく行動変容が求められていると考えられます。

旧優生保護法の反省

 我が国においては旧優生保護法に基づき、優生手術が行われてきたことについて深い反省の下、優生思想が入り込むことのないよう、細心の注意を払い、ノーマライゼーションの理念が社会に浸透するように努め、妊婦等が社会的圧力を受けることなく、妊娠、出産について自由な意思決定をできるようにしなければならない。(NIPT 等の出生前検査に関する専門委員会報告書 令和3(2021)年 5 月 https://www.mhlw.go.jp/content/000783387.pdf より抜粋

倫理とは

 広辞苑によると、倫理とは、①人倫(人として守るべき道)、②実際道徳の規範となる原理と記載があり、意見・考え方の対立がある場合に勝ち負けをつけるのではなく、お互いの意見を聞き、その立場を尊重するのが倫理、独りよがりにならず社会としてのコンセンサスを探るプロセス、答えを求めるのではなく,考えること、との記載があります。

答えの出ない事態に耐える力(Negative capability)

 すべての物事が解決できるものではないということを受け入れる能力。最も必要なのは「共感する(思いやりをもって寄り添い、共に感情を理解しあう)こと」であり、この共感が成熟する過程でさまざまな考えと伴走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力が備わる、とされています。

反対意見も考慮した決定事項の尊重と実施(Disagree and commit)

 「議論する時は立場も関係なく反対だったら反対(Disagree)を明確に主張し、しかし、決まったら決まったことに従ってチームとして全力を尽くす(Commit)」という態度を指します。

商業主義の排除について

 商業主義とは、利潤(利益)を最大化しようとする考え方や、金銭的利益を得ることを第一とする考え方です。昨今では、公共性の高い事業で、一定の規制のもとで営利企業の力を活用して社会全体の便益を最大化している業界も多くあり、多くの企業が経営理念を掲げています。そのことを勘案すると、生殖補助医療を扱う医師がその労働対価として報酬を受け取ることは当然です。よって医療機関の開設者は利益を得ることは何ら問題はありませんが、非営利性を医療法により厳しく求められています。本基本姿勢の中の守るべき事項の「商業主義を排除する」の一つは、医療施設における収益追求と医学的そして生命倫理的な観点から適切な医療の方向性が一致しない場合の、収益追求を最優先とする姿勢を意味しています。つまり、ここでの「商業主義」は医療法人が営利を追求する姿勢を示した場合等の弊害を意図した文言として示しています。これは日本医師会・医の倫理綱領においても、「医師は医業にあたって営利を目的としない。」と記載されていることと矛盾しない内容と考えています。さらにもう一つの観点として、生殖補助医療を受ける患者以外の者(第 3 者)の卵子又は精子、受精胚、子宮などを用いた生殖補助医療(卵子又は精子、受精胚、子宮などの商品化)については生命倫理と営利目的との相克が顕著となることが懸念されています。こうした課題に対しては、「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律」(附則第 3 条)(令和2年法律第76号)の中で検討事項として掲げられおり、本学会ではその規制、制度について十分に議論され運用されることを強く要望しています。