ビルマのいま② -活気の裏にあるもの-
ビルマ②です。ちなみに、ビルマシリーズは、⑤まで続きます。よろしければお付き合いください。ひとつ前の記事で、私が見たヤンゴンの印象を述べました。思っていた以上に活気があったというのは事実。しかし、よく知られている通り、ビルマと言えば、軍事政権というイメージが強いだろう。その通り、自由が抑圧されているのも事実。そのことについて少し述べたいと思う。私たち自身、滞在中「スーチーさん」などの反政府寄りと悟られる言葉の使用にはかなり気を付けた。現地で世話をしてくれたガイドさんも、私たちと深く関わっていることがばれないよう、ホテルまで付いてくるのは避けた。(外国人を「(政府から見て)反政府系」のところに連れていく現地人は、ヘタしたら逮捕されてしまうのである。)そんなかんじ。ビルマでは、自由に思っていることが語れない。人々は自由に外国人をガイドすることさえできない。(外国人だけなら、どんな行動をとっても基本的には見逃されるらしい。)活気と抑圧。この国にはたしかにこの二面が存在する。そして、その間には「あきらめ」と「無知」があるように見えた。「あきらめ」。人々は表現や言論の自由、思想の自由を抑圧されている。しかし、それを除けば、とくに問題なく生きていける。仕事も見つけられるし、テレビもある。国内国外関わらず移動の自由もある。家庭を築いて、幸せな生活を送ることができる。ビジネスで成功すればお金持ちにもなれる。ぱっと見、不自由はないのである。(もっとも経済発展の停滞は大きな問題点であり、2007年のデモも発端はそこであったのだが。)しかし、そこには、政治についてとやかく言ったり、経済政策や外交政策について自由に議論を交わしたりすることができない。政府がやっていない社会福祉をサービスしているNGOに自由に寄付することも怖くてできない。だが、これらの自由をあきらめ、規定された枠組みの中で生きることを決めたら、それなりの生活を送ることができそうだ。ビジネスで成功している人や、政府系機関で働いている人の多くがこれに当てはまるといえる。政治活動に奔走している側の人々から見れば、そんな彼らは、国全体に漂う矛盾を問いただしあるべき自由を奪取するということを無理して行うよりも、自分が平穏な生活を送ることを選択した人々である。ある人に言わせれば「彼らは自分のために忙しい、私たち国のために忙しい」と。「無知」。さてここで、ひとつ疑問が生じるかもしれない。本来あるべき自由がないことに気づき、その矛盾に苦しむ人はいかほどいるのか。そう、一部のエリートのみである。言論の自由がないと感じたり、政治に批判的な考えを持てる人はごくわずか。それ以外の多くの人々は、何も知らないのである。彼らは毎日生きていくことで精いっぱいで、あるべき自由がないことを認知することさえできないのである。学問を学びたいという知識欲さえもつ余裕がないとのこと。だから、今ある環境の中で生きていく選択肢しか知らないのだ。他の国にどんな世界が広がっているか、想像することもないのだ。これが「無知」である。仕事を求めてタイに不法移住したある人が、初めてタイに行った時、そこにある政治・経済が違いすぎてただひたすら驚いたと言っていた。これが現状である。「何が白で何が黒かを教えなくてはいけない。そして、彼らが国に対してもっとクリアな態度をとれるようにならなくてはならない。」という、あるNGOの経営者の言葉。まずは、ここから始めなくてはならないのである。