【“異なる人”との関係】

海外にいれば考えそうな、ティピカルなテーマについて。


異なる人とはだれのこと?

個人と個人、
関西人と関東人、
日本人と中国人、
アジア人とヨーロッパ人、
地球人と宇宙人?、
など、異質性のレベルはたくさんある。

で、もちろん共通点が多ければ多いほど近づきやすくなる。

?? でも、共通点って、何における共通点??

文化、見た目、共有情報、仲間意識、とかとか。。

例を挙げてみると、、、

文化:米を食べる/食べない、クラブで踊り狂う/あまりそういうの行かない、
室内で靴を脱ぐ/脱がない、母国語の言語体系、などなど。

情報:たとえば国内の人は皆同じテレビ番組を共有している。
アジアではアジアのニュースが多く、ヨーロッパではヨーロッパ・
アフリカのニュースが多い。同じクラス、同じ会社、同じチームにいると
共通の話題が増えるなど、単純な経験の共有。などなど。

仲間意識:男と女、中国現地人と非中国人、アジア人とヨーロッパ人、
学生と社会人、正社員と契約社員、、、、などなど様々な分け方ができる。
その時々においてどこの点を強調してどこに”仲間”意識を見出すかによる。


さて、地理的に近いと必然的に上の全てが満たされるので、
地理的に近い人と近づきやすいのは事実なんだろう。

けど、それが絶対的なファクターのように見られていることになんとなく違和感をもつ。


少なくとも、「情報」は克服方法があると思う。
昨今のネットの発達のおかげで、例えばアメリカのドラマを世界中の人が見れる。
K-POPにもみんなアクセスできる。ドラマ好きのアメリカ人とドラマを
全く見ないアメリカ人より、ドラマ好きのアメリカ人と中国人の方が
話が合う部分もあるのかもしれない。

情報面では、このように地理的な制約を超えるダイナミズムを期待できるのかも。


今は大きいと思われている地理的距離の影響、すなわち国と国の境界を
いかに小さくするかが実は私の興味のあるところだったりします。
なぜその必要があると思うかというと、今の時代、経済的にどこの国も
自分たちだけでは完結できないから、というのが主な理由かな。

とはいえ、たとえばすでに経済はとっくにグローバルになっていて、
しかもそれは誰かがそうしようとしたというよりは、
勝手にそうなったというかんじ。

とすると、いまは文化がそれに追いつこうとしている段階なのかもしれない。
別にそんながんばらなくても勝手に変わっていくのかもしれない。


50年後、世界はどのようになっているんでしょうか。

そういえば今年は2012年ですね。50年後、世界は存続してるんでしょうかね~。


これもまた中途半端な記事ですが、ま、独り言としておきます。