こんにちは!

 

 

2025年は発信活動を頑張るぞ!と宣言しておきながら、前回の更新から1ヶ月以上経ってしまいました…。毎日のスケジューリングがまだまだうまくできないなぁ…と日々模索中です真顔

 

 

ブリュッセルはまだ寒い日が続きますが、日は長くなってきたように感じます!朝7時台にやっと明るくなってきてくれたのは本当に嬉しいキラキラ(最近の日の出は朝8:00くらいです)

 

 

ただ、銃撃事件が頻発したり、邦人が路上強盗の被害に遭うなど、治安面では少し不安な日々が続いています。私も先日、ブリュッセル中央駅の地下通路を歩いていたところ、リュックのチャックを開けられそうになりました…ガーン幸い、違和感に気づき振り返ったところ、犯人は去っていき被害は免れましたが、やはり東京と比べると治安は良いとは言えません。引き続き、気をつけて過ごそうと思います注意

 

 

 

さて、表題があるようにシリーズとして、私自身のピアノ人生を振り返ろうと思います!(興味ある人皆無疑惑…笑い泣き

そこから得た学びも加え、現在ピアノを学習している人に少しでも参考になっていただければ幸いです!キラキラ

 

 

ピアノとの出会い

私が初めてピアノ教室に行ったのは、長野に住んでいた頃、記憶が正しければ5歳の時でした。

姉がピアノを習っていたのと、幼稚園で仲良くしていた友達がピアノを習っていた影響から、自分から「ピアノやりたい!」と言い出したような気がします。

 

 

小学校時代

音楽が純粋に好きな小学校時代でしたが、決してたくさん練習する子供ではありませんでした。当時はポケモンが大流行!ピアノの練習よりもゲームに夢中な子供でした笑

それでも好きな曲に出会えたら、早く弾けるようになりたくて突発的に練習していました。また、学校でピアノを弾いて「上手だね!」と言われるのがとても嬉しく、人前でも楽しく弾いていました爆  笑(今思えば結構天狗になってた…真顔

 

ただ、当時使っていたピアノの教材にはお手本のCDが付いていたため、私は楽譜をしっかり読まずにCDの真似をして弾いている状態でした。音の高さ(ドレミ)さえ読めていれば、楽譜を読めているつもりになっていたのですガーン。しかし、リズムも読めていないと音楽はもちろん完成しません!そのため、当時の演奏は今思えばリズムの柱がないような演奏だったと思いますし、速い音符はことごとくすべっていました…。

それもそのはず!当時の私は基礎練習が大っ嫌いでした笑

先生から「バーナム」などの基礎のテクニックを鍛える教本も勧められましたが、嫌がって全然練習しませんでした…。レッスンの中でソルフェージュの取り組みもありましたが、とにかく嫌でした…。

後から振り返った時、「あの時しっかりやっていれば…」と思うこともありましたが、そこで無理矢理やらされなかったからこそ、辞めずに続けてきたのかなとも思います。

 

 

注意ピアノ学習者の皆さんへ注意

ピアノを始めたばかりの頃の基礎練習、ソルフェージュは本当に大事です!

基礎練習で指先をしっかりさせる訓練を重ねなければ先には進めません。また、リズム読みは本当に大切!!!私は後々そこの部分は苦労しました。「1拍目は深く打つ」とか「長い音は重い」といった感覚が分かるようになるまで、冗談ではなく10~20年かかったように思います。その感覚が早い段階で訓練できていれば違ったのかなとも思います。

 

 

初めてのピティナ

小学校5年生の時、初めて全国規模のコンクール「ピティナ・ピアノコンペティション」にチャレンジしました。(地区予選→地区本選→全国大会)

当時、コンクールがどんなものかも分からず発表会のような感覚でチャレンジしました。うまく弾けたら素敵な賞状や楯がもらえるのが嬉しくて頑張っていました(単純な子供…)

まだまだCDの真似で弾く子。地区予選ではハイドンのソナタとプロコフィエフの動きの速い曲を弾きましたが、基礎力がないので力づくで、指も転んでいたような状態でした。もちろん今思えばの話です。(当時の自分の努力を否定するつもりはありません)

 

なんと、まさかの地区予選通過!!!びっくり

土屋少年はますます天狗になります笑

 

 

しかし、その伸びた天狗の鼻はわずか1ヶ月でへし折られるのでした笑魂が抜ける

迎えた地区本選。何も知らない私は「このまま全国大会に行くぞ!」と意気込んでいましたが、もちろん上には上がいます。地区本選の出場者の皆さんの演奏を聴いて、圧倒されましたガーン

特に全国大会進出を決めた子の演奏と言ったら…。その衝撃は今でも覚えています。「この人はピアノに取り憑かれている…ガーン

 

 

来年のピティナは絶対全国大会に行くぞ!と意気込み、この悔しさをきっかけに普段からの練習量が増えたような気がします。また、このタイミングで両親がアップライトのピアノを買ってくれました。(それまで電子ピアノで練習していました)

また、「あの全国大会に進んだ人のような演奏がしたい」と思い、無駄に身体を揺らして弾くようになりました笑(形から入るタイプ笑い泣き

 

翌年、小学校6年生でもピティナにチャレンジしました。

地区予選は通過する前提で、地区本選の曲と同時進行で準備を始め、当時の自分なりに練習も工夫し、前年とは違い抑揚をつけようと表現にも積極的にチャレンジしました。

 

地区予選では「長野市長賞」を受賞し、1位通過!びっくり

やはり自分にとっては、「嬉しい経験」よりも「悔しい経験」の方が成長させてくれるようです。

 

 

この調子で今年こそ全国大会!と意気込んで迎えた地区本選。

この舞台で人生で初めて「プレッシャー」を感じました。

 

 

今までの努力が報われるかどうか、これからの10分弱の演奏にかかっている…。

そう思うと、ミスタッチがとにかく怖い。身体もガチガチ…。審査員の先生方の講評にも「音が硬い」と書かれてありました。

 

 

結果は「地区本選優良賞」

入賞こそしたものの、全国大会進出は逃しました。当時は相当悔しかったですが、今となっては良い思い出!

前年は入賞すらできなかったんだから、全国大会に行けなかったとしても大きな前進です✨そして、審査員の先生の講評の中にも「表情が豊かだった」というコメントもあり、プレッシャーで固くなってしまった演奏の中にも、確実に練習の成果は伝わっていたのだと思います。

そして冷静に考えれば、前年のピティナをきっかけにピアノを頑張り出した自分は、真剣に練習に取り組んだのはせいぜい1年ほど。一方、全国大会に進むような人たちは、もっと長い間基礎からしっかり取り組んで、小学校高学年ともなればそれなりに舞台経験もあると思われます。その中で入賞できたんだから、頑張ったんだと今となっては当時の自分を肯定できるようになりましたニコニコ

 

注意ピアノ学習者の皆さんへ注意

たとえ、本番で上手く弾けなかったと思ったとしても、ミスタッチの多い演奏だったとしても、それまで真剣に音楽に向き合ってきたことは必ず演奏の中に表れますし、聴いている人にも伝わります!ミスがあっても伝わるんだから、怖がる必要はありません!

 

 

 

ピティナ終了後、中学受験のため、ピアノは少しお休みすることになります。

(ピアノとは関係ないので詳細は割愛しますが、中学受験は志望校に不合格となり、公立中に進学することになります)

 

 

 

小学校卒業後、1歳から過ごした長野を離れ、東京へと引っ越します。

中学校以降のピアノ人生はまた別の記事で👋