さいたま市で
まちゃみキッチンwith手話を開催している、
聞こえなくったってなんのその!
つぶつぶ料理コーチのこんないまさみです。
改めて、自己紹介です♪
生まれてから、今に至るまでをまとめました。
始まり始まり♪
生まれは福井県
1976年生まれの46歳です。(2021年10月現在)
亡きおじいちゃんが開業した本屋の孫として生まれ、本や漫画に囲まれて育つ。
漫画のおかげで恋のABC、、、いや、ゴホン、一般的な常識、知識を得ることができました
3つ下の妹、8つ下の弟がおります。
家族の中で私だけ3歳の頃から聞こえないことが分かり、その頃から補聴器をつけた生活をしています。
補聴器をつければ音は入ってきますが、裸耳では飛行機のジェット音がやっと聞こえるレベルです。
小学校の6年間、週1、家から車で15分くらいの小学校にあることばの教室に通い発音練習をしたので、声を出して話すことができます。女の先生がとっても優しくて大好きだったので、発音訓練は苦ではなかったです。
話すことはできても、聞くことについては補聴器をつけて音は入ってきても、何の音なのか、どこから聞こえるか分からないです。流石に救急車、消防車、パトカーのサイレンの音は分かります
そして、言葉を認識するのはなかなか難しく、相手の口の動きを見て、聞こえる音と想像力を働かせるなど、頭の中をフル回転しながら、何とかコミュニケーションをとる毎日でした。
分かったフリも巧みに取り混ぜながら💦、何とかやり過ごしてました。
例えば、今の話何?って聞くと、最初は教えてくれるけど、聞き取れなくて、2度目、3度目聞き返すとなると、やっぱ何でもないって答えられたり、相手が困ったりして、その場の雰囲気を壊してしまうのがとっても怖かったのです。
というのは、家の食事中の団欒でテレビを見ていて、家族が大笑いしていた時に、なんで笑ってるの?と、父に聞き、言っていることが分からなくて聞き返した時に、なんで分からないんや!って怒られて、大泣きしたことがあったからです。その後は父も反省したのか、2度と言うことはありませんでした。
今はテレビに字幕がつき、一緒に笑えるようになり、帰省した時は、私からのキツい冗談も笑って受け止め、何でも話せる優しい父です
手話に出会ったのは大学の時。
私が通った大学は日本で唯一聴こえない学生のための大学、筑波技術短期大学です。今は4年制大学の筑波技術大学となっています。
友達と手話でスムーズに話せることがこの上なく楽しくて嬉しくて、大学時代は寮生活だったので、友達と夜遅くまでたくさんたくさんおしゃべりしました。この時、たくさんの人と同時におしゃべりする楽しさを初めて知りました。
それまでは1対1でないと会話が難しかったです。。。
福井の家族は夏休みや冬休みなど帰省した際、コミュニケーションをとる時に発音がおろそかになってしまい、私が手話を使うことに難色を示していましたがね、、、。
手話は私の人生でなくてはならないものになりました。
家族は同じ歳の山登りが趣味の夫、ワンオクなど音楽にハマっている大学一年長男、手先が器用な高一次男、すみっこぐらし大好き小三長女の5人家族です。
家族と手話で話せる毎日がHappyです
長くなってしまったので、
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