こんにちは、naoです。
ご訪問ありがとうございます。
ご縁に感謝いたします^^

 

はじめましての方へ  
naoです。よろしくお願いいたします^^ 
自己紹介はこちらです。


「邪推(じゃすい)」という言葉をご存じですか?

邪(よこしま)に推測するとあるとおり、
意味は「ねじ曲げて推しはかる」こと。

たとえば、
相手はこう考えている
と決めつけてしまうことです。

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あれはわたしが小学生の頃のことでした。

体育の授業中、
たしかサッカーをしていたんだと思います。

何かの拍子でクラスメイトに
ボールをぶつけてしまったんですよね。

それがゲーム中だったか休憩中だったか、
そのあたりは覚えていません。

強くぶつけたのではなくて、
相手が後ろを向いていたところに
軽くあたった程度のことだったと思います。


ふつうに考えると
ボールが当たってしまったところで、
「ぶつけちゃってごめんね」と
相手に謝るのですが、
当時のわたしはそれができませんでした。

わたしはボールをぶつけてしまった
そのクラスメイトのことを苦手に思っていて。

うまく話ができない自分と違って
相手は思ったことをズバッと言える人で。

わたしとは全然違うからと
引け目ばかり感じていて。

 

 

相手もわたしのことを嫌っているのではないか、と感じていました。

だから、ボールを当ててしまったあと、
怒られるのではないかと怖気づいてしまい
謝れなかったのです。



相手はわたしがボールを当てたことに
気づいていたのか
気づいていなかったのかわかりません。
何も言ってきません。

とにかくわたしは
謝らないといけないと思いつつも
スルーしてしまいました。


クラスメイトなので毎日顔を合わせますが
ふだんから話すことがなかったので、
ボールについて何を言われることもなく
言うこともなく
日々は過ぎていきました。

何ごともなかったような毎日でしたが、
心の中では
謝れていないという事実に悶々としていたのです。


ボールを当ててから
一か月くらいたった頃でしょうか。
体育か何かの授業の時に、
相手と話す機会ができました。

小学生のわたしにとって
こわくて謝れなかったことは
罪悪感として強く残っていて、
心に抱えきれなくなっていたのでしょう。

かなり遅ればせながら
あの時のことを謝りました。

そうしたら相手は
「えー覚えてないよ、わざわざありがとうね」
と言って
話はすぐに終了しました…。

相手は何も気にしていなかったし、
わたしのことを
嫌っているわけでもなかったのです。



今ふり返れば
謝るまで悩んだ時間はムダだったといえますね…。

もしも
わたしが相手のことを怖がっていなかったら
嫌われていると思っていなかったら
わたしなんて格下だと思っていなかったら。

その場ですっきり解決していたのだろうな…
と思うのです。


あの人に嫌われているかもしれない、
あの人はわたしのことを
できないやつだと思っているかもしれない。

そう言われたわけではないけれど、
何となく相手の態度や言動からそう感じてしまう。
他の人への態度などから
そう思われているのではないかと
推しはかってしまう。

もんもんとした気持ちを抱えたまま
日々を過ごすこともあることでしょう。


けれども
本当にあなたは嫌われているのでしょうか?
本当にあなたはできない人でしょうか?


嫌われているのではという
不安やモヤモヤなどが出てきたら、
いったん立ち止まってみてください。

そして、それ本当?
どうしてそう思うの?
と、自分にたずねてみてください。


もしかすると小学生のわたしのように、
嫌われているのは思い込みで
そこには何もないかもしれませんよ。


邪推は自分のこれまでの経験から身につけた
考え方のクセです。

長年かけて積み重なったものなので
すぐにはどうにもなりませんし、
ひょこひょこ顔をのぞかせてきます。

ひとつひとつゆっくりと
自分の気持ちと向き合っていきたいですね。

 

 

わたしの思い出話にお付き合いいただき
ありがとうございました。

 

一歩一歩進んでいきましょう^^

 

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