こんにちは、naoです。
今年もあと半月ちょっと。あっという間ですね。
 

はじめましての方へ  
naoです。よろしくお願いいたします^^  

自己紹介はこちらです。


今回はわたしの思い出話です。
お付き合いいただけるとありがたいです。


わたしは小さい頃、習字教室に通ってました。
日曜の朝早くから自転車を15分こいで

 

通っていたにもかかわらず、

習字は習い事の中でいちばん大好きでした。


というのも、

教室のとなりに駄菓子屋さんがあって、

休憩時間にはそこでお菓子を買って

自由に食べてよかったんです。


それが子ども心に嬉しくて^^


お小遣いを握りしめて、

駄菓子屋のたくさんのお菓子の中から

何にしようかなーって迷う時間。

自分で選んだお菓子を味わう時間は、

子どもの頃のわたしにとって至福のひとときでした。


お店の老夫婦はとてもやさしくて、

おそらくお子さんたちは同居してなくて、

ご夫婦だけで駄菓子屋を営んでいるようでした。
きっと

習字教室の子どもたちが買いに来るのは、

にぎやかで楽しかったんじゃないかなと思うんです。


ある日教室の帰り道、

わたしはひとりで駄菓子屋さんに寄りました。
 

何にしようか選んでたら、

お店のおばあちゃんが

「これおまけにあげるよ」と言って

袋菓子をサービスしてくれたんです。


子ども心にとっても嬉しくて、

「ありがとう」と言ってもらって帰ったんですね。
あまりにうれしかったので、

家に帰って母に

「これね、駄菓子屋さんにもらったの」

と報告したんです。

そしたらなんと

「なんでもらったの!」

怒られてしまいました。


 

え?なんでって、くれたからなんだけど・・・。

こっちこそ、なんでもらったらだめだったの。

一緒に喜んでくれると思ったのに。

頭の中になんで?が駆け巡る中、

何も言えず、

母と一緒にお菓子を返しにいくことになりました。


記憶の中では、母が

「お金を払ってないのに、申し訳ないです」

と言って、お菓子を返していました。
わたしはその後ろで突っ立っていました。


駄菓子屋のおばあちゃんは

ちょっと寂しそうな顔をしていたように覚えています。


わたしはわからなくなりました。


何十円かの駄菓子ではあるけど、
お金を払わずにものをもらうことはいけないことだと教えなくては、
という母なりの思いからの行動だったんだと思います。
 

だけど、
なんで人の好意を受け取ったらいけなかったのか。
タダより高いものはないって言いますけど、

好意を受け取った自分はいけなかったのか。


その後、

10年近く習字教室には通いましたが、

お菓子をもらうことはありませんでした。

駄菓子屋さんは今はもうなくなって、

習字教室だった建物も交番に建て替わりました。

実家に帰るときに、
すっかり変わってしまった景色を見て、

ふと思うことがあります。


おばあちゃんにお菓子をもらったことを

母も一緒に喜んでくれてたら、

どうだったんだろう。
こんなに何十年たっても

覚えてない記憶かもしれない。


もう今はいない駄菓子屋のおばあちゃんに、

あのとき返したくなかったんだよって

言いたいなと、思うことがあるんです。


おばあちゃんにとっては

些細なことかもしれないけど。


決してこのせいではないんですけど、
いろいろなことが積み重なっていったせいか、
わたしは人からほめられても

言葉を素直に受け取れなくなっていました。


「よくがんばってますね」と言われても、
「いえ、そんなでも・・・」と言ってしまったり。

否定することがクセになってしまったんですね。
自分を認めてあげられなくなってたんです。



でも少しずつですが、
自分はがんばってる、よくやってるって

認めてあげられるようになってきて、

あらためて思うんです。


あのとき、

駄菓子を受け取ってよかったんだ、って。

たった何十円かの駄菓子でも、

小さかったわたしには、

差し出された好意がただうれしかった。

朝早くから習字がんばったね、って

ほめてもらえたような気がした。


だから、受け取ってよかったんだって。


何十年もたって、今さらながら、
自分がしたことを肯定です。

 


記憶を書きかえることはできませんが、

ひとつずつ、小さなことから。

受け取っていいんです。

受け取っていきましょう。

 

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