昨年後半に行ったタイ旅行の写真が手元に届いた。
タイの懐かしい街並みとともに、相方(上さん)の写真が美しくて

思わず「これめっちゃ良くない?」と写真を見せた。
 

タイは、カンボジアへ行く際に経由したことこそあったものの
ちゃんと街を歩くのは今回が初めてだった。
タイに行く数週間前に台湾にも行っていたが、街並みや異なる文化に驚き
元々好きだったタイ料理の本場の味と安さに感動した。

 

タイは街中の車を恐れないほど早く走るバイクくらい急激に成長しているらしく。
電車の沿線が広がるにつれ、地価も高騰。

ただ中心街から離れ、1本大通りから中に入ると異国情緒溢れる景色が広がっている。

 

観光では、有名な三大寺院(「ワット・プラケオ(エメラルド寺院)」「ワット・ポー(涅槃仏寺院)」「ワット・アルン(暁の寺)」)を巡り、その建築や仏像の美しさに目を奪われた。

 

現地でもデジカメやスマホでたくさん写真は撮っていたが

改めてフィルムが届き、写真を見てみるとまた違った感動を覚える。

今回は久々に現像までしてみたのだが、手にとって見るとより大切な思い出として感じることができた。(この気持ちや感動を届けたくて、自分も個人撮影のサービスにはプリントを付けていたりする。)
 

フィルムで撮ってよかったなぁと必ず思う瞬間に我が相方(上さん)の写真を見るときがある。
いつも綺麗だとは思っているのだけれど、フィルム写真で見ると思わず綺麗だなぁと改めて感動するのだ。

 

今回のベストショットは、タイへの経由地、ベトナムの空港で食べた

フォーの美味しさに感動している写真。
上さんには心からの感動が表情に、瞳にあらわれていて、心からの感動をストレートに出せるところが素晴らしいと思っている。

デジタルで撮っても綺麗だし、いつも最高の1枚が撮れている自信はある
ただ、それと同時に編集含めてどこか
「自分がこうあってほしい」や「これが一番魅力を引き出せている」という意志が乗っている気がする。
それが全然悪いことだと思っていない。寧ろ大事だと思っている。

一方で、普段からそういった思いで撮っているからこそ、撮るというタイミング以外に
自分の意志が乗っていないフィルム写真を見るとハッとする。
編集時の感情というフィルターがかかっていない、ありのままが写し出されていて
自分でも無意識になってしまっているものと向き合うこと(向き合わされること)で
思わずハッとさせられるのだ。

タバコもギャンブルもやらないが、フィルムが現像された後のこの感動(快感)だけは忘れることができなくて、今だにフィルムカメラも手放すことがどうしても出来ない。