僕は昔から決めていることがありまして、

それは何かと言うと、

「超一流の人の言うことしか聞かない」ということです。


で、周りにその分野で超一流の人がいなければ、

「その分野に関する古典を読んで学ぶ」ということをします。


で、超一流の判別方法は、

「この人、一流かな、超一流かな?そう呼べるかな?」と迷わずとも、「そりゃ、超一流でしょ」と確実に自信を持って言えること。

そして、「大部分の人がその人のこと、あるいは業績を知っている」ということです。

この2点。


迷うようでしたらそりゃ超一流とはいえないし、超一流なら隠してたってどうしても表に出てきますから。


で、自分がその分野で超一流でなければ、自分の意見より超一流の意見を優先し、まずは完コピを目指します。


そういう意味では、「世間でよく言われていること」は僕にとって価値を持ちません。


で、最近、つくづく思うことなんですけど


「我慢する」ってなんなんですかね。


「子どもに我慢を教えないといけない」

みたいな。


やりたいことばかりできるわけじゃないんだから、我慢というものを教えないといけないとか。

わけわからんと思うんです。

そんなもん、やりたければ我慢なんかする必要ないでしょ。

なんでやりたいことがあるのに我慢しないといけないのか。


昔、僕が子どもの頃、母から「あんたはお金が天から降ってくると思ってる」なんてよく言われていました。

あれが欲しい、これが欲しいと言っていたからでしょう。

で、その頃の僕は「そんなん思ってるわけない」と思ってましたが、結局、「身がちぎれるほど働いて得られているお金なんだから、大切に使いなさい、吟味しなさい」という意味だとはあまり思っていませんでした。

母子家庭で、裕福ではなかったからこそ母は僕に伝えたかったのでしょう。


しかし、僕が思うに、むしろ「働かせて欲しかった」と思います。

欲しいものがある、なら自分でどうにか手に入れなさい、考えなさいと。


ちなみに、僕はおばあちゃんに買ってもらっていました 笑



で、何が言いたいかというと、

「やりたいことを我慢させなければ」なんて明らかにおかしいんですよ。

むしろ「やりたいことをするために何かしら我慢しないといけないことが出てくる」ものじゃないんでしょうか。


欲しいことを得るために、何かしら我慢しないといけないことが出てくるのでは?

なんで「やりたいこと」や「欲しいこと」を我慢しないといけないのか、意味がわかりません。


そもそも、僕は「お小遣い制度」がすべての元凶だと思っています。

上から「枠」を与えられ、その枠の中で「やりくり」しないといけないのがお小遣い制度です。

できることの大枠は決まっている。

足りないなら何ヶ月も待たないといけない。

そりゃクリエイティビティなくなるよねと。


「現在価値」を考えると、10年後に得られるものより、今得られることの方が大事なんですよ。


ノーベル平和賞を受賞されたユヌスさんは仰っていました。

「仕事を探す人間になるな。仕事を生み出す人間になれ」と。

既にあるものからどうにか適したものを見つけようとするのではなく、自分に合うものを生み出しなさいということですよね。



やりたいことを我慢するのではなく、それを実現するためにどうするのか、それを必死で考える。

僕はそういうことを多くの子どもたちに知って欲しいです。


「我慢しなさい!」が、


「やりたいことを我慢しなさい」ではなく、「やりたいことをするために(違うことを)我慢しなきゃ」となるといいなと思います。

とりあえず、うちの子どもにはお小遣いはあげません。

「可愛くプレゼンする」とか、「可愛くおねだりする」とか、「ストレートに働く」とか「必要のない自分のものを売る」とか「サービスを生み出す」とか、「誰かと協力する」とか、そうやってやりたいことを叶えて欲しいものです。





でも、娘から


「父上、おもちゃ買って」

と言われたら、1秒でAmazonのボタンをクリックしそうな気もします。。。