Part1 より続く)

 

いつも行く公園に差し掛かりました。

 

 

さっきまで「抱っこ〜!抱っこ〜」と叫んで足にまとわりついていた娘が、

 

 

「あ!シュベリ〜(滑り台の事)」

 

 

と言って、公園に走って行きました。

 

 

心の中で、「このク○ガキめ(笑)」と思いながら、

 

 

マルと一緒に滑り台の近くで、娘の成長を実感しておりました。

 

 

娘は一人で滑り台の階段を駆け上がり、そして滑る。

 

 

これを永遠に、行います。

 

 

 

ここで確認ですが、今回の目的は愛犬の散歩です。

 

そこに2歳の娘が付いてきた。

 

 

その愛犬は滑り台の横で、ぼーっと待っています。

 

二十回ぐらいを超えたところで、「そろそろ行こうか」と言って娘を促しますが、

 

当然、

 

 

「ノー!!!!」

 

と帰ってきて、何度も滑り台を登ろうとしますので、

 

ご飯の時間などもあり、さ、行こうかともめている間に、

 

愛犬の足を踏み、

 

「キャイーーーン」と泣き叫ぶマル。

 

 

踏んだり蹴ったりとはこのことでしょうか。

 

 

小脇に抱えられながら「シュベリ〜!!!!」と叫ぶ娘。

 

足を踏まれて、「キャイーーーン!」となく犬。

 

「妻よ!助けてくれ!」と心の中で叫ぶ僕。

 

 

もう地獄でしたね(笑)

 

 

 

で、その時に思ったのが、

 

 

やっぱり「一人で見る」って無理ですわ。

 

 

ストレス度が違います。

 

 

ここで2人いたら、例えば抱っこするにしても「順番」にやれますし、

犬を見る役割、娘を見る役割ってそれぞれ分けることもできる。

あるいは、5分ずつで完全に休憩する役割を交代するということもできる。

 

そしてこれは、じゃあ「土日にまとめてやる」という話ではなく、平日、少しずつでも分散するという方がストレス度が変わるよなーと思いまして、そりゃ当然、そのストレスを受け続けたら今度は子どもの方にも強い影響が及ぶだろうなーと考えながら、そのカオス状態を乗り越えました(笑)

 

カオスでありながら、その状況をメタ認知してめっちゃ面白かったです。

 

そうなってくると、「核家族」じゃなくて、やはり「親との同居」が良いんだろうし、本当は「旦那の親も」「妻の親も」全員一緒に生活するというのがもしかしたら理想なのかもしれないと思いました。(これは介護という点でも教育という点でも、ストレスという点でも、キャリアという点でも) そういう生活スタイルなら「減税」とかにするのも政策として面白いかもしれませんね。

 

 

 

要するに、教育における「知識不足」と「人手不足」がいろんなことの原因になっているように思います。

 

 

そこで、「人手不足」はその生活スタイルで解消するとして、

 

知識不足に関して、今回は幼児教育からのヒントをご紹介します。

 

 

近所の公園に

ロッククライミングの簡単なやつがあります。

 

それを登りきると滑り台になってます。

 

 

image

 

 

数日前に、娘と僕が一緒にこのロッククライミングの練習をしました。

 

最初は、めちゃくちゃビビってましたが、最終的に、一人でできるようになったのです。

 

 

 

 

保育の考え方で、「補助」というのがあります。

 

 

このケースで言えば、「手をつなぐ」というのが「補助」です。

 

 

手をつなぐことにより、子どもは安心しますし、バランスもとりやすくなります。

また、少しだけ引っ張りあげたりすることで、スムーズに登りやすくなったりもします。

 

 

ちなみに、僕が初めて彼女とこれをやった時には、

 

僕が彼女の腰を両手で掴み、娘はビビりながら、僕の腕を掴み、

 

足だけをこの足場に乗せて少しずつ上がっていって、

 

何回か、「登る」経験をさせて、滑り台を滑った後に、

 

徐々に徐々に、僕は腰を握るのではなく、彼女の両腕を掴み、

 

そして、「右足を今上げてごらん」「左足を」という指示や、足に触れてあげるように促すことで、彼女は「コツ」を習得していき、

 

徐々に徐々に、「登る」→「楽しい」ということを学んだようで、

 

何度もなんどもそれをやっていき、

 

最終的には、

 

完全に一人で足と手を使って登りきました。

(補助者である僕は、彼女の背後すぐにいつでもつかめるようにバックアップ体制だけは整えつつ、失敗して、滑り落ちそうになるときにも、軽く滑り落ちさせつつ、最後のところでは大怪我をしないようにという準備をしておりました)

 

 

そして数日経って、妻と初めてこのクライミングをやるときには、

 

「いきなり片手」でスタートしました。

 

 

足運びはだいぶお手の物になっています。

 

 

そしてしばらくしたらもう完全に一人でできるようになり、ミスすることもなくなりました。

 

 

 

ここで注意するポイントが2つあります。

 

① いきなり何のサポートもなしに挑戦させると失敗した時にめちゃくちゃ痛くてもうやらないとなりかねないので、「挑戦心」を身につけさせたかったら、最初はきっちりサポートをすることが大切。

 

 

② 途中失敗したら、励まして、すぐに再チャレンジを促すこと。

 (失敗したまま

終わり、しばらく時間を空けてしまうと、「恐怖心」がとても強くなってしまう)

 

 →(失敗した時にも、大怪我はしないようにするサポートはしているのが前提だが)痛い・辛いと嫌がるからとすぐに諦めさせることをやると、「難しそう」「大変そう」はやらないようになる。

 

③ 補助の「強度」を徐々に弱くする。

 

 「できる」という経験を繰り返すのが目的ではなく、「一人で」「サポートがなしで」「できる」という状態に持っていくことを目的とする。

 

 

これは勉強でも同じです。

 

例えば、「お前、浪人したら家を出て行けよ!(だから頑張れ)」という表現は、失敗したらセーフティーネットがないという状況だからな!ということです。これで、安心して100%の力を出せるかというとそんなことはなく、むしろ本番で緊張しまくって失敗するというパターンになりがちです。

 

また、「とにかく勉強しろ!(自分で考えろ!)」というのも、最初に見本やサポートがないままでやれという姿勢ですから、よっぽど「すでに確立している子」ならまだしも、そうじゃない子に「自分でどうにかしろ」というのは、その独立自尊の精神があれば、今「そういう状態(親が勉強しろとうるさく言わないとやらない状態)」ではないはずなんですよね。

 

もちろん、あらゆることをやってあげるというのも、「自立」には程遠いです。

 

子どもが「自立して」学習し、「自立して」生活するようになることが、ひいては「親御さんが自立できなくなった時」(老後)に、子どもが大人になり今度はサポートする側に立てるようになるのだと思います。

 

「あんた、そんなこともできないの?!」

「あんた、何回言ったらわかるの?」

「トロトロしないの!」

「またこぼしたの!!!」

「どれだけ迷惑かければ気がするの?」

 

という言葉が、老後の自分に跳ね返ってこないように気をつけたいものです。(少なくとも、そういう言葉が返ってくるということは、近くにいるわけですからまだマシかもしれませんが)

 

なんにせよ、結局、僕は親子関係が「幸せ」であることが人生において最も大切なんじゃないか(ここが苦しいと一生その苦しみを背負いがちなのです)と思うのです。(多くの親子関係を見ていて心からそう思います)

 

何が言いたいかというと、

 

「それぞれの立場や役割を全うする中で、その相手の立場や力量に合わせた“補助”をしていくことで、自分でできるようになるというのが大切」なのです。

 

 それは少なくとも、ティーチング(Teaching)ではなく、コーチング(Coaching)やサポーティング(Supporting)なのではないかと思います。

 

子どもたちも、自分の家族における役割を全うしていくことが大切なのです。