下関レポート1の続き
どう考えても無駄に整備された道路を歩いて赤間神宮へ。
この看板を見つけ、
あ、そっか、
日清戦争の講和条約って「下関条約」じゃん。
と、久しぶりに歴史用語と土地をリンクさせました。
僕は、天皇陛下が大好きでして。
なんというか、自然と頭が下がっちゃうんですね。
なぜなのかを言葉に示そうとしても、軽薄になるだけなのでやめますが、基本革新的な僕ですし、正直
「近代国家」が嫌いなので、国のいうことなんて聞きたくもない。
よって将来、公職には機会があっても絶対つかないですが、天皇陛下からなら話は別!という自分なりの区別があって、多分僕の愛国心は、国に対する愛情より、陛下に対する尊敬の念だと思っています。(幕末に生まれていたら、間違いなく尊皇攘夷を叫んでいたし、倒幕じゃー、と言ってましたね。ええ。確実に 笑 )
そういう意味で、この安徳天皇陵を「写真に収める」というのは失礼なのではないかとも思ったのですが、多くの人に興味を持ってもらうことは大切なことなんじゃないかと思いまして、撮らせていただきました。
壇ノ浦の戦いで入水した、安徳天皇(当時 数えで8歳)のお墓ですね、簡単に言うと。
あの有名な
「耳なし芳一」の像があったこと。
昔話で、個人的には一番怖かったのを覚えています。
夜な夜な、幽霊に呼び出されて一心不乱に琵琶をひいている姿をみた和尚さんが、身体中にお経を書いたから、次の夜に幽霊がきて「ほーいちー」「ほういちー」と呼んでも見えなかった。
耳の部分だけお経を書き忘れていたから、その耳だけを千切って持って行ったという逸話。
なるほど、芳一は、この赤間神宮にいたのか。。。
そして、幽霊って平家の亡霊っていう設定だったのかと感動。
これ、夜に来たら痺れるなぁと。