2015年5月1日についに映画「ビリギャル~学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」が全国ロードショーとなります。

 おかげさまで様々な媒体で取り上げていただき、インタビューが活字や映像で掲載・放送していただいております。ありがとうございます。

 一方で、紙面の都合や放送時間の都合などで、必ずしも、私の意図がすべて報じられているわけではないですので、ここで私の想いや考えをすべて書きたいと思います。

 
 【想い】


 自分の人生のストーリーを綴るウェブサービスの「STORYS.JP」に、「学年でビリだったギャルが、1年で偏差値を40あげて日本でトップの私立大学、慶應大学に現役で合格した話」をアップロードしたのが2013年の4月30日でした。(本の題名とは少し異なります)

 そして2015年5月1日に全国ロードショーですから、ちょうど丸2年で映画が公開されることになります。

 要するに、ブログ記事をアップロードしたら、翌日には(正確に言うと、その日のうちに)複数の大手出版社から声をかけていただき、8ヶ月後に本になり、9ヶ月後には「ベストセラー」になり、1年5ヶ月後に「情熱大陸」に出演し、2年後には「映画」になる。

 いまやずいぶん昔の話のように思えることも、こうして改めて考えてみると、そのこと自体がそれこを本になりそうな流れといえます。

 今、実は、すべての契機となったさやかちゃんのお母さん(ああちゃん)からのメールを久しぶりに読んでみました。とても心が明るくなりました。



 僕にとって、大学生や社会人となった教え子との交流は本当に楽しいものなのです。

 いまだに交流がある子で、一番年上の子は、30歳を超えています。(多分33歳とかかな)

 最近改めてわかってきたのですが、僕はあまり「社交的」なタイプではなく、パーティーが苦手です。塾業界の横のつながりとか全然ないし、いろんな大人の人と親しくするというのはどうもできません。友達という友達もとても少ない。(正確に言うと、日本人の友人がほとんどいないと言ったほうがいいのかもしれません)

 それは社交性がないことが理由の一つかもしれませんが、それ以上に、僕にとっては、大人と付き合うよりも、教え子と付き合うことのほうがワクワクするし楽しいからなんだと思います。

 教え子の「成長」に寄り添えることは、大人の人とお酒を飲んだりパーティーをしたりするより、僕にとって単純に楽しいのです。特に、思春期は、親御さんや先生、友達と関係性を築きながらも、いろんなことに傷ついて、成長していく大事な時期で、その大きな壁である受験を乗り越えるために1年~3年ほど一緒に戦って乗り越えていくことで、師弟関係のような友情のような、家族のような熱い人間関係が培われていきます。そこにコミットすればするほど、その後の付き合いもずーっと続くんです。

 僕自身、胸を張れるのは、受験で志望校に合格した子も、本人的には納得がいかない結果に終わった子も、どちらともいまだに付き合いが長く深く続いているということです。そして、何より大事なのは、世間ではやはり「いわゆる良い大学」にどれだけ合格したかとか、うまくいっているかがスポットを浴びますけど、ほんと心底どうでもいいと思っています。本人が目標を設定し、それに向かって努力して、その中で僕も必死でサポートをして、お互いを信頼し合える仲間となって人生を生きて行く。そういう関係性を築くことが人生では最重要なのだと信じています。(そして、事実、それによって、社会に出てからの方が多分僕の教え子たちはその恩恵を受けていますし、僕自身もそうです)

 そうなってくると、「ビジネス」がある程度前提にある大人同士の付き合いより、そっちの方が楽しいのも仕方ないですよね。

 「ビリギャル」のさやかちゃんは、そんなずーっと付き合いのある教え子の一人でした。

 大学に入ってからも、ことあるごとにメールをくれたり、名古屋に帰ってきたときには、「AOIカフェ」という新栄にあるカフェで深夜までお茶をしながら、彼女の主に恋愛相談に乗っていましたし(笑)、就活の時にも、いろんな話をしました。もちろん、僕も、仕事の相談だとか、プライベートの相談なんかもしていました。とはいえ、正直、今考えると本当にくだらない話をして笑いあうという時間の使い方だった気もします(笑)

 2013年は、さやかちゃんの年の離れた妹が受験をした年でもありました。僕の右腕である、中野がさやかちゃんの妹を担当し、彼女も頑張って、上智大学に見事合格。進学して1ヶ月ほど経ったある日、さやかちゃんのお母さんである、ああちゃんが僕にメールをくれました。

 妹さんが大学で頑張っていること、息子さん(さやかちゃんの弟)にもお子さんが生まれたこと、そんな素敵なニューとともに、僕に対する感謝の意を伝えるメールでした。

 僕はそれを読みながら、いろんなことを思い出しました。

 そういえば、さやかちゃんとの出会いはこうだったな。ああちゃんとの最初の出会いはこうだったな。僕は当時の指導記録を引っ張り出して(検索して)、読み更けました。

 そして、ああちゃんへの「返事」として、いかにお母さんが素晴らしい対応をしていたのか、それを伝えたくて、長い物語を書き始めました。

 途中、書いていて、笑えたのですが、何より感動しました。

 これはきっと、世の中の人のためにもなるはずだと。

 「あきらめない」

 「愚痴を言っても、行動をすることはやめない」

 「素直に吸収する」

 「人が無理と言っても、頑張る」

 社会人になって、とても大事だなと思うことが入っていたからです。



 すぐにさやかちゃんにメールをしました。

 STORYS.JPというウェブサービスに上げてもいいか?


 そう聞くと、「感動した」という返事と共に、いいよと言ってくれました。


 そこでネットに上げて寝ると、そこからはあれよあれよというものでした。

 ちなみに、その時の記事は、250万PVになっています。

 無名のウェブサービスに、無名の人間が書いた記事。


 それが世間の共感や感動を呼び、24時間以内にいくつかの出版社の方々から書籍化のお話をいただきました。

 さやかちゃんのお父さんやお母さんにも出版社からの企画書を持ってお話をしましたら、「坪田先生にお任せする」と言ってくださいました。

 そして、一番、親身かつ熱いと感じさせていただいたKADOKAWAの工藤編集長と一緒に書籍化したいと思い、決めました。

 ここからは、さやかちゃん、ご家族、ご友人、当時の僕の教え子などに取材を進めながら、文章を書き、再取材をするなどして、そこからは工藤編集長とひたすらfacebookのメッセンジャーを使いながら、毎日朝方までやりとりをしました。

 「本作りってここまで大変なのか」と

 途中で心が折れそうにもなりながら、初体験の好奇心が勝り、最後までやりきりました。

 2013年12月27日、書籍「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」が発売されました。

 出だしもそれなりによく、年明けでいくつか取材を受けて、雑誌や新聞で紹介される中で、口コミでも伸び、1ヶ月で7万部という状態になりました。

 話題が話題を呼び、評判が評判を呼ぶというのはまさしくこんな状態なのかな?と思えるほど、いろんなメディアの方々に番組に呼んでいただきました。

 みんな、この本を読むときに、「受験のサクセスストーリー」だと思っていらっしゃるのですが、
実際は、「受験をモチーフ」にしたある家族の愛と成長の話です。

 それがあるときに、KADOKAWAの偉い方(塚田さん)に企画書を見せてもらって、映画化の打診をいただいた時には、


 「ついにさやかちゃんとああちゃん、パパさんたちが実写化かぁ」

 と思ったものです。


 これって、


 ある、一人の「ギャル」と言われていた女の子が、


 『めちゃくちゃ頑張った話』


 でして、


 誰もが無理という目標設定に向けて頑張った。


 すると、その頑張る姿をみて、


 周囲の人が変わっていくんですよね。



 心打たれて、少しずつ変わっていく。


 そして応援してくれるようになる。


 それが本になり、映画になり、多くの人の心をも動かす。


 たくさんの人からファンレターをいただいています。


 自分には無理だと思えることでも、やってみようとおもったと、そして頑張れた。


 ビリギャルのおかげですというメールやお手紙を毎日のようにいただいています。



 映画って、ぶっちゃけ、大企業連合が互いに協力し合いながら作っています。


 より多くの人に届けるために。



 つまり、「頑張るということは、何か目標を達成するという効能だけじゃなく、人の心を動かし、ひいては、大企業や社会すら動かす」ということなんですよね。


 一人の女の子の頑張りが、社会を動かす力を持っているということなんだと。


 それを学びました。



 僕等一人ひとりの力って、小さいんじゃなくて、めちゃくちゃ大きな可能性を持っているという良い証拠なんだと思うんです。


 ぜひ、みなさんには「映画ビリギャル」を劇場で見ていただき、明日への活力にしていただきたいと思います。


 そして、自分が今から足を一歩踏み出すことが、10年後には映画になっているかもしれない。

 そう思っていただければと存じます。


 原作者として、胸を張れる映画です。


 ぜひ、みなさん、これまでと変わらぬ愛情を映画にも注いでいただけますと、原作者としてこれほど嬉しいことはありません。


 よろしくお願いいたします。

 そして、いつも本当にありがとうございます。


                       2015年5月1日
                       坪田信貴