震災遺構 浪江町立 請戸小学校

 

苕野(くさの)神社から車で2分

震災遺構として残る、請戸小学校を見学しました

請戸小学校では、ひとりの犠牲もなく、生徒、教職員全員が助かりました

 

地震発生時、千葉市は震度5強、私は仕事で接客中でした

フロアにある可動式の旅行パンフスタンドが、クルクル回って、バタンバタンと倒れたのを覚えています

ビルの壁にヒビが入り、何も持たずに屋外に出るよう、臨時放送が流れました

 

請戸小学校では、地震後、教師が生徒を連れて

1.5キロ離れた大平山に向かって走りました

 

浸水は、二階の床まで及びました

 

 

とてもおしゃれなデザインの校舎だったようですが、

壁も流失しています

 

 

 

残されたノート

 

波の形のようなベランダ

 

14:46  地震発生

14:54  避難開始

とにかく高いところ、大平山へ走る!

 

まだ津波警報も発令されていません

先生方の迅速な判断、行動が素晴らしい

 

教頭先生は学校に残り、迎えに来た保護者に

・児童は大平山に避難していること

・大平山の上で合流すること

・親も全員すぐに避難すること

を、伝えてから逃げました

 

15:25  教頭先生、車で避難

15:33  津波第一波到達

津波が襲うギリギリでした

津波の高さは、3→6→10mに次々と訂正され

実際には15.5mの高さだったそうです

 

調理室

 

体育館

 

丸太がそのまま挟まっています

 

 

 

 

 

自分の地域のハザードマップを確認して、ルートを実際に歩いてみるのは大切だと思いました

 

そしてもしも避難場所や避難ルートが被災した場合、どこにどうやって行くのか、家族で話し合っておくのも必要だと思います

 

請戸地区は漁港が再開しています🐟

これから!!です

 

 

  東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)

 

2020年9月に開館しました

 

原発事故前の、双葉町内のパネル

 

 

 

 

 

実際に使われていた地図

 

ザ・タイムス 3月14日の英国新聞

タイトルは、 Nuclear  fear grips Japan  

「核の恐怖が日本を襲う」

 

混乱する現場、混乱する日本


重篤な患者が避難をすることは、非常に困難でした

 

警戒区域に残され、後に保護されたペットたち

飼い主さんがわからない子も多くいました犬猫

 

5年前に訪ねた時は、町村のあちこちにこの黒い袋が山積みに高く置かれていて、とても不気味でした


また、黒い袋を大量に運ぶ大型トラックが頻繁に走っていたことも覚えています


今回は、この除去土壌を見ることは、ほぼありませんでした

 

災害対応ロボットMISORA

人の目、人の手では届かない場所で活躍します

 

館内で、いわき市にお住まいだったご年配の語り部さんの被災当日の体験談をお聞きしました

「被災時に最も優先すべきは自分の命を守ること」

 

 

  道の駅なみえ

道の駅なみえがオープンしていました

無印良品も出店しています

 

フードコートは行列でした

 

ソウルフードのなみえ焼きそば

具はもやしと豚肉だけの、もちもち麺です

美味しニコニコ

 

 

2024年6月15日見学

 

 
浪江町立請戸小学校

 

東日本大震災・原子力災害伝承館

 

道の駅なみえ