本日は新宿末廣亭に出演でした照れ

マジックで15分の高座時間。
最近ロープ切りを練習していたのでそれを含めて
ステッキからファン&ミリオンカード
ロープ切り
モンゴリアンシルク
新聞復活
リンキングリング
コインプロダクション
と、いう流れ。


コインのところで前の方のおばあちゃまが「あれまぁ!」と大きく反応してお客席を笑わせる。
おばちゃまありがとうニヤリ


僕の前は中トリで伯山先生。
おかげさまで2階席までいっぱいのお客様。
色物なので伯山先生の前に出る時も後に出る時もあるのだが。毎回何か刺激を貰える。

今日は、満席のお客様と伯山先生の高座を間近で見て、こんなことを思った。

「和妻を見せるべきだよなぁ」

もちろんマジックだからって手を抜いて演じてるわけじゃないけれど、和妻を演じる自分とは大きく色が違う。


マジックだからこうとか、和妻はこうとかそういうのが言いたいのじゃなくて。
自分には和妻が向いてるんじゃないかなってそう思った。


僕がまだ20歳になるかならない頃、胸を打たれてため息が出るほど感動した舞台を見てしまったことがある。
物凄く有名で誰もが知っている、という存在ではないけれどカミナリに打たれるほど衝撃を与える人間が確かにいた。
そしてその感動を、普通ではないその生のステージで人生に数回しか味わえない、そんな感動を僕も与えられる人間になりたいと思っていた。


僕が魅せられるのは和妻しかない。
本当は和妻のレベルまでマジックの腕を上げたくて今年はマジックを寄席でかけていたのだけれど、天は二物を与えないのかもしれない。


ちょうどNHKで夫婦引出を取り上げてくださるのが良い機会かもしれない。
もう一度全力で寄席で和妻をやりたくなりました。


こんな気持ちにさせてくれる伯山先生、凄すぎます照れ

先日、NHKのとある番組で和妻の夫婦引出を取り上げたいという趣で御連絡がありました。

テレビ番組なので、詳細は今お伝えすることはできませんが、演目指定で夫婦引出が選ばれたことに喜びを感じております。

夫婦引出という和妻は元は帰天斎派のお家芸で日本手妻の味わいを現代まで残してる貴重な演目です。

歴史書の中だけに残り空想の演目と化してしまった伝統奇術が多い中、細かな型まで伝えられている引出の演目は古典手品を愛するものにはとても惹きつけられるものです。

僕自身は20代の頃にこの奇術を習い、紅白の鞠の扱いからノベ→一本傘という流れで演じてきました。
これは完全に帰天斎派の流れを汲むものです。

一体いつ頃この形が完成されたのかはわかりませんが、柳川派の写真が残っていること、一本傘の見栄の型(厳密には見栄を切らない、禁じられている)
、そして帰天斎派自体が柳川一蝶斎の流れを組んでることから形になったのも帰天斎派が活躍する以前なのでしょう。

もうこの形で夫婦引出を演じる人はほとんどおりません。僕自身、映像で帰天斎正華、六代目正一が演じるものを見たことがありますが、実際生の舞台で見たことはありません。
大阪の魔法の愛華さんが演じてると言ってました。

伝統の型が脈々と受け継がれ、令和の世に現存してる手品は多くはありません。
新たな手を入れて面白い演技にしていくのは見てて楽しいものですが、現代の手を全く入れず古典の形通りに演じてくれる和妻師が僕の後にも残ってくれると嬉しいです。


収録されるNHKの番組で夫婦引出の良さが伝わりますように✨

そしていつか日本手妻と養老派を残し続けてくれた帰天斎派の今を世の中に伝えられたら嬉しいものです。







いつもありがとうございます。

三月1日より改め、公演も北見翼の会から養老瀧之丞の会へと変わります。


落ち着いたら新たなブログも作成しようと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。


以下公演情報


何卒、お引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。


北見翼






こんにちは。
2022年3月より

北見翼改め

養老瀧之丞

に成ります。


17歳の時に師匠北見マキより北見翼の名を頂き、マジックの腕を磨き、日本手品に憧れ、20歳の時に和妻師(以下日本手品を和妻)としてデビューしました。

心は和妻に囚われ、日本舞踊や長唄のお稽古も合い重なり研鑽を続けて来ましたので養老派(北見マキが家元でございました)に憧れてお願いしましたところ、

「師匠、僕も養老の名前が欲しいのですが、、、」

24歳の時に養老瀧之丞と言う名前を私に付けてくださいました。
承諾してくださった数日後、稽古か用事かでご自宅に伺った際のこと。

「名前、考えたよ。はい」

「〜之丞と言う名前は綺麗な響きで貴方にあっているよ。」

師匠なりに一生懸命考えてくださった名前でした。

「師匠、翼はどうしますか?」

「翼は捨てちゃえ」

「・・・」

当たり前のことですが、私自身、翼の名前を気に入ってましたし公私関係なく北見翼を名乗っておりましたのでしたので。なんとも寂しくなってしまいました。

その後半年くらいそのまま続けてきましたが、
師匠が亡くなる直前、
「名前はどうするんだ。」
腹を決められない僕にひとこと。

「僕も、、、師匠と同じように北見翼の名前を持ちつつ養老瀧之丞の名前も持ちたいです。」

「そうか、、、まぁ前向きに考えておくよ」

という言葉がこの話の最後で

師匠の考えを聞くことなく、天に登られてしまいました。

その後、養老の名を存続させるべく瀧之丞拝命を公表いたしまして、
落語芸術協会の仙台支部、そして春風亭昇吉兄さんに瀧之丞の名前を使って頂きましたが。
なんとも腹を決められない25歳ごろの自分にはなかなか照れ臭く、むしろ翼の方がその時の自分には合っている気がしてました。

その後も和妻、洋妻(マジック)関係なく勉強しておりましたが、求められる仕事は和妻一本槍。

更に私自身も近代和妻より古典和妻を勉強することが楽しくなっていきました。

古典にハマり、浄瑠璃のお稽古などに夢中になっていたことが功を奏し
純日本手品、所謂古典和妻一筋の舞台が出来上がってきました。

瀧之丞の名前をどうしようか日頃より考えておりましたが、私も31歳になり、
逆に翼の名前が和妻の舞台と合わなくなっと感じてきました。

養老を継ぐ者が私しかおりませんので、襲名をという案もあったのですが、私もまだまだ勉強がしたい。そしてせっかく師匠が付けてくださった名前を公にせずに次に行くのも失礼な話だと思い、これを持って養老瀧之丞に改めさせて頂く運びと成りました。


本当に北見翼として皆様方にはお世話になり、青も緑もその名で過ごし、楽しみ、苦しみ沢山の思い出がございます。今まで支えてくださった全ての皆様に心より感謝申し上げます。


今後は養老瀧之丞として、まずは準備に入らせていただきます。


寄席では三月ごろでしょうか。


余裕を持って準備をし、新たな気持ちで頑張ります。

今までブログを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

改めて養老瀧之丞をお引き立てよろしくお願い申し上げます。




北見翼ブログ「大きな翼で世界に羽ばたく」













おはようございます。

2022年、あけましておめでとうございます✨
本年もよろしくお願い申し上げます。

三渓園に向かっております。頑張ります✊


https://www.hamakei.com/headline/11656/