いつもありがとうございます。

三月1日より改め、公演も北見翼の会から養老瀧之丞の会へと変わります。


落ち着いたら新たなブログも作成しようと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。


以下公演情報


何卒、お引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。


北見翼






こんにちは。
2022年3月より

北見翼改め

養老瀧之丞

に成ります。


17歳の時に師匠北見マキより北見翼の名を頂き、マジックの腕を磨き、日本手品に憧れ、20歳の時に和妻師(以下日本手品を和妻)としてデビューしました。

心は和妻に囚われ、日本舞踊や長唄のお稽古も合い重なり研鑽を続けて来ましたので養老派(北見マキが家元でございました)に憧れてお願いしましたところ、

「師匠、僕も養老の名前が欲しいのですが、、、」

24歳の時に養老瀧之丞と言う名前を私に付けてくださいました。
承諾してくださった数日後、稽古か用事かでご自宅に伺った際のこと。

「名前、考えたよ。はい」

「〜之丞と言う名前は綺麗な響きで貴方にあっているよ。」

師匠なりに一生懸命考えてくださった名前でした。

「師匠、翼はどうしますか?」

「翼は捨てちゃえ」

「・・・」

当たり前のことですが、私自身、翼の名前を気に入ってましたし公私関係なく北見翼を名乗っておりましたのでしたので。なんとも寂しくなってしまいました。

その後半年くらいそのまま続けてきましたが、
師匠が亡くなる直前、
「名前はどうするんだ。」
腹を決められない僕にひとこと。

「僕も、、、師匠と同じように北見翼の名前を持ちつつ養老瀧之丞の名前も持ちたいです。」

「そうか、、、まぁ前向きに考えておくよ」

という言葉がこの話の最後で

師匠の考えを聞くことなく、天に登られてしまいました。

その後、養老の名を存続させるべく瀧之丞拝命を公表いたしまして、
落語芸術協会の仙台支部、そして春風亭昇吉兄さんに瀧之丞の名前を使って頂きましたが。
なんとも腹を決められない25歳ごろの自分にはなかなか照れ臭く、むしろ翼の方がその時の自分には合っている気がしてました。

その後も和妻、洋妻(マジック)関係なく勉強しておりましたが、求められる仕事は和妻一本槍。

更に私自身も近代和妻より古典和妻を勉強することが楽しくなっていきました。

古典にハマり、浄瑠璃のお稽古などに夢中になっていたことが功を奏し
純日本手品、所謂古典和妻一筋の舞台が出来上がってきました。

瀧之丞の名前をどうしようか日頃より考えておりましたが、私も31歳になり、
逆に翼の名前が和妻の舞台と合わなくなっと感じてきました。

養老を継ぐ者が私しかおりませんので、襲名をという案もあったのですが、私もまだまだ勉強がしたい。そしてせっかく師匠が付けてくださった名前を公にせずに次に行くのも失礼な話だと思い、これを持って養老瀧之丞に改めさせて頂く運びと成りました。


本当に北見翼として皆様方にはお世話になり、青も緑もその名で過ごし、楽しみ、苦しみ沢山の思い出がございます。今まで支えてくださった全ての皆様に心より感謝申し上げます。


今後は養老瀧之丞として、まずは準備に入らせていただきます。


寄席では三月ごろでしょうか。


余裕を持って準備をし、新たな気持ちで頑張ります。

今までブログを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

改めて養老瀧之丞をお引き立てよろしくお願い申し上げます。




北見翼ブログ「大きな翼で世界に羽ばたく」













おはようございます。

2022年、あけましておめでとうございます✨
本年もよろしくお願い申し上げます。

三渓園に向かっております。頑張ります✊


https://www.hamakei.com/headline/11656/

今年の振り返り 芸の道
年明け早々、水芸を舞台で演じたくなりそこに向けてコツコツと。

三渓園では助手を用いてのから箱等、現在も研究を重ねる演目の原点を演じてました。




蝶々は一陽斎の手でやってましたね。




その後、なんとか水芸を初演でき、、、



マジックではメリケンハットをネタ下ろししました。暫くマジックを極めようと思ったけれど、やはり自分の生きる道は日本手妻だと認識させられたので、すぐさま着物に戻る😅


しかし、奇術協会の会長の働きもあって和洋問わず舞台で演じさせていただき✨



そんな中、挫折を味わう蝶々の芸。

落ち込みは稽古と勉強でしかなく、10年かかり浮かれの蝶の秘密を知る。

やっと一息、つけました(/ _ ; )

この発見には自分自身とても感動とともに飛躍的にこの芸の自信にも繋がりました。



その後はコツコツといや、苦悩と戦いつつから箱手順の創案。

まだ課題は残っているけれど、来年には出来上がりそうな見通しです。

この奇術も24くらいの時に初演していたのでなんとか形が出来上がるまで年数かかりました。



さっとやってさっと演じていた袖玉子も改めてお稽古したら新しい発見と芸を極めるということの大切さを知る。



ほんとにねぇ・・・芸を極めた人の舞台は誰も敵わないですよ。

100人和妻やる人が出ようと200人同じことをしようとする人が出てきても芸を極めた人には敵わない。そんな芸人、役者を若いうちに見てしまったものだから、もうこの感覚というのは真髄を見た人にしかわからないですよね・・・

そんな和妻師になるよう頑張ります✨



座り高座なども勉強しながら



最後の最後で僕がやりたかったこと、純日本手品のショーを構成するという仕事に着地をしました。



そして、それは来年の三渓園で叶いそうです✨



頑張ります✨

本日は年末にもかかわらずに道具と音楽の制作をコツコツやっておりました。

来年はゆっくりのんびり年末を迎えたい(/ _ ; )